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愛知芸術文化センター開館記念オペラ『影のない女』ビデオ上映会が始まりました!

2010年10月13日

日本で初めての本格的オペラハウス誕生
 1992年(平成4年)10月30日、待ち望んでいた芸術の殿堂「愛知芸術文化センター」が名古屋の栄に誕生しました。このセンター内に国内初のオペラハウスである3面舞台の「愛知県芸術劇場」大ホールができました。どうしてオペラハウスと呼ばれたかというと、3層のバルコニーからなる馬蹄型ホールであること、舞台が主舞台、側舞台、後舞台の3面舞台であること(これにより複数の舞台のセットが可能で迅速な舞台転換が可能。また、毎日演目を変える事が可能)、さらに舞台設備が大規模であることなどがその理由です。(今では同様のオペラハウスは新国立劇場やびわ湖ホール、兵庫県立芸術文化センターなど増えました。) 

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愛知県芸術劇場大ホールの3面舞台

 

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大ホールの馬蹄形客席

 

東西の芸術が融合した歴史的な公演
 この劇場の杮落としがバイエルン国立歌劇場によるオペラ『影のない女』(R.シュトラウス作曲)でした。この公演は、市川猿之助が歌舞伎の手法を用いて演出を行うということで大変話題を呼びました。また、R.シュトラウスを得意とする名指揮者サヴァリッシュとバイエルン国立歌劇場の引越し公演ということでチケットの争奪戦ともなりました。筆者も朝からプレイガイドの列に並び、かろうじてチケットを確保しました(S席は40,000円でした)。また、当日は、満席となった大ホールの豪華な客席で、わくわくしながら幕が上るのを待っていたことを思い出します。
 さて、公演も大変優れたものでした。市川猿之助演出は歌舞伎の所作に基づく動きやすばやい場面転換、衣装やメイクなど徹底しており、東洋的で幻想的な舞台を創り上げていました。また、サヴァリッシュも大編成のオーケストラから豊かな響きを引き出すとともに、歌手も役柄を見事に演じていました。まさに日本のオペラ上演史の1ページを飾る伝説的な公演であったと言えるでしょう。

 

オペラ『影のない女』
 R.シュトラウスのオペラで有名なのは『ばらの騎士』や『サロメ』ですね。次が『エレクトラ』か『ナクソス島のアリアドネ』でしょうか。今回の『影のない女』は、R.シュトラウスのオペラの中では頂点をなす作品と言われますが、めったに上演されません。その理由は、台本が難解であること、メルヘン的であるため演出が難しいこと、歌手の負担が大きいことなどが考えられます。国内でも上演は珍しいのですが、今年度は5月に新国立劇場での上演があり、さらに来年2月にはマリインスキー・オペラ来日公演と、最近ようやく脚光を浴びてきたようです。

 02-aac3.jpg 第1幕より  夢の誘惑
染物師バラクの妻から影を奪いとるため、皇后と乳母は魔法を使って幻想の世界を作りだす。夢の誘惑にうっとりとなるバラクの妻。(写真:木之下 晃 AAC No.3より)


 RStrauss.jpg リヒャルト・シュトラウス(1864―1949)

11-aac3.jpg 第2幕より  ファンタジー
染物師バラクの妻から影を奪い取るのに失敗した皇后と乳母が霊界に戻っていくシーン(写真:木之下 晃 AAC No.3より)

 このオペラの台本は文豪フーゴー・フォン・ホフマンスタールです。R.シュトラウスは彼との共同制作で名作オペラを多く残しています。ストーリーはおとぎ噺風で、2組の夫婦(皇帝と皇后、染物師バラクとその妻)が試練を経て、真の愛で結ばれるというもので、モーツァルトの「魔笛」の世界を20世紀に蘇らせたものと言えるでしょう。ところで『影のない女』の「影」とはどういう意味でしょうか?皇后が子どもができないのは影がないためであるということからすると、「母親であることの証」あるいは「人間となることの証」と言えるでしょうか。皇后は「影」を必死に手に入れようとします。先日上演されたばかりのトリエンナーレオペラ「ホフマン物語」で、「影」を失ってしまったホフマンのことも連想されますね。あらすじは複雑となりますので省略します。ビデオを見てのお楽しみといたしましょう。

 

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 なお、当時のポスター、パンフレット、写真、新聞記事なども展示しますので、ぜひご来場ください。先着30名ですので、満員の場合はお断りすることもございます。また、オペラの雰囲気を楽しむため、途中入場はご遠慮いただきますので、お早めにお越しくださるようお願いします。
 (A.M)