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パリ・オペラ座バレエ団芸術監督講演会 が開催されました

2013年06月18日

「パリ・オペラ座バレエ団の日本公演にちなみ、2013年5月25日(土)、芸術監督のブリジット・ルフェーブル氏がバレエの魅力について講演します。」


 と、講演会のご案内を始めたところ、早々と熱心なバレエ、中でもパリ・オペラ座のファンから聴講希望のお申込みが連日届きました。パリ・オペラ座バレエ団の芸術監督ご本人が公演開始直前に、しかも無料で、講演会に応じていただけるとは!全くもって、パリ・オペラ座ファンには大変貴重かつこの上ない贅沢な機会を設けられるとは、我々も予想外でした。本拠地・パリに住んでいたとしても、今回のように、かなり近い距離で聞けるようなことは稀だと思います。その点だけでも、幸運でした。
 お申込みの往復はがきは、地元愛知県はもとより、関東や関西、それに岡山県からもいただきました。聴講券としてお渡しという従来の方式ですが、近頃では、こうした催事の申込みもインターネットを利用することが増え、「往復はがき」という応募方法も少なくなりました。中には、懐かしい5桁の郵便番号時代の葉書などもあり、大切に手元に保管されていたと偲ばれ、ものを大切にすることを今一度思い出させていただきました(余談ですが)。
 さて、いよいよ当日。開場前から葉書を手にされたお客様が会場のアートスペースAの前に並ばれましたが、混乱もなく皆さま開始時刻までに順次お入りになられ、中には未来のエトワール?!というような可憐な少女たちの姿も見られました。 
ほぼ満席の状態でいざ、開演。拍手で迎えられたルフェーブル氏は、やはり舞台人、いざ檀上に登れば、さながら貴婦人のようなポーズでつつましくご挨拶。

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 内容は、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿を舞台に自らも踊るほどの熱の入れようであったことが、今日のバレエの大きな礎になり、また、同時にこうしたことを通じて「規律」への道筋となっていたということから始まりました。と、通訳と並んで座していたはずのルフェーブル氏は、さすがは元ダンサー、おもむろに立ち上がり、ポーズやステップを披露。言葉を介するより、何より実演による解説は、解りやすく伝わっていました。

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 身振り手振りを交えながらバレエ史を、コスチュームの変移や名だたる振付家たちの試行によりどのようにして進化し、変遷を遂げてきたかについて語られました。パリ・オペラ座といえば、殿堂として古典を重視し、伝統を守る体制のようにとらえられそうですが、否、実は常に新しいものにも門戸を開き、吸収し進化し続けているということを(用意されていたビデオを見ながら)、熱く語られたかったようです。時代とともにその都度、体制や才能や力量に優劣はあれるけれど、国境を越えて優れた人材や作品が交流し発展するべきであると。パリ・オペラ座が歴史あるバレエの世界で、現在においても君臨し続けていられるのは、こうした取組がなされていればこそだと改めて納得させられました。
 今回の『天井桟敷の人々』は、フランスの名画として確固たる人気を誇り続けている映画のバレエ作品化という挑戦でした。芸術監督として就任以来20年間、常に「20世紀から21世紀に向けて道を開くこと」を自身の役割とかかげていました。そのため、今回も苦心はありつつも、スペイン系フランス人であるジョゼ・マルティネス氏によって、パリ・オペラ座の素晴らしい作品がまた一つ創出出来たことに感謝していました。
2014年9月から後任の芸術監督に就任予定のベンジャミン・ミルピエ氏については、「好奇心があり、優秀でオープンで信頼のおける人物」と紹介し、また、パリ・オペラ座に新しい風が吹き込むことに期待していました。

 予定していた時間をオーバーし、聴講されていた皆さんも本公演の開場も気になるし、けれどもっと話を聞きたいといったご様子で、席を立つにも躊躇されていました。質疑応答の時間も予定していたのですが、一時間では熱い思いは収まりきれませんでした。講演会終了と同時に、急いで大ホールへ向かわれる方ばかりかと思っていたら、なんと、ルフェーブル氏はファンに囲まれ、さながら握手会、写真撮影会の様になっていました。ようやくその後、皆さんから拍手で送られたルフェーブル氏は、温かい見送りに喜びながら会場を後にされていきました。
(K・Y)
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ブリジット・ルフェーブル Brigitte Lefèvre
8歳でパリ・オペラ座バレエ学校に入学し、16歳でパリ・オペラ座バレエ団入団。1970年に初の振付作品「ミクロコスモス」を手がけ、アヴィニョン・フェスティバルで高い評価を受ける。72年にオペラ座を離れ、ジャック・ガルニエと共に“テアトル・デュ・シランス”を設立、74年-85年、ラロシェルを拠点に活動した。85年、フランス文化庁のダンス監督官に着任。94年パリ・オペラ座総理事に就任。95年8月からパリ・オペ ラ座バレエ団芸術監督。