私たちにできることは「忘れないこと・想うこと」。
東日本大震災の直後から被災地に入った、タレントで書家の矢野きよ実さんは、壊滅的な被害を受けた日本の硯シェア90%を誇る硯のまち宮城県石巻市雄勝の地に立ち、その際ガレキの中から出てきた傷だらけの硯と出逢ったことをきっかけに、被災地の子どもたちと「心の声」を聞きながら一緒に書をかき、そして、子どもたちから預かった書を全国で展示する活動を続けています。
初日に会場に訪れた矢野さん
展示風景
今回の展示会場は、名古屋市の中心部にある愛知芸術文化センター。オアシス21地下連絡通路から入った地下2階アートプラザ前の広場で、4月16日から5月12日まで開催しています。
子どもたちの心の叫びを見てください。
※作品のコメントは、会場で配布中の小冊子『子どもたちの心の音』より。
「父」
「父ちゃん亡くなったけど、ここに書いたらずっといるからみんなに俺の父ちゃんみせて」と預けてくれました。
「3月11」
忘れられない津波
「命」
しん災で多くの人がなくなったから命が大切
「春」
早く春が来てほしいと思った
(K.I)
「3.11」未曾有の災害をもたらした東日本大震災から2年が経ちました。
しかし、復興はまだこれからです。ふるさとを離れ、帰れるめどの立たない人々がたくさんいます。福島第一原発事故は、いまだに終わりが見えません。
あのとき何が起きたのか、いま被災地がどのようになっているのか。あらためて震災のもたらしたものを考えるとともに、復興に向けての思いを新たにしていただきたいということで企画しました。
写真は、朝日新聞の報道カメラマンが現地で撮った、選りすぐりのものばかりです。悲しみ、うめきから、希望、喜びまで、被災地の方々の思いが生々しく伝わってきます。
写真展は、次の4部から構成されています。
第1部 あのとき何が
第2部 原発事故
第3部 悼む
第4部 明日へ
これらの写真の中から一部をご紹介します。(写真・キャプションは朝日新聞社提供)
「慟哭」
大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市閖上地区で、道路に座り込み涙を流す女性(2011/3/13宮城県名取市閖上)
「見つけたよ」
「あったあ!」。全壊した自宅の中からお気に入りのノートを見つけ出した小学2年生(2011/3/30宮城県石巻市)
「無念」
「原発さえなければ」。新築したばかりの堆肥舎の壁にメッセージを残し、酪農家は命を絶った。出荷停止で原乳を捨てる日々が続いていた。(2011/6/13福島県相馬市)
「いたわる」
高田松原で津波被害に耐えて1本だけ残った「奇跡の一本松」。中秋の名月がいたわるように照らす。衰弱のため枯れてしまい伐採されたが、特殊加工されてモニュメントに(2011/9/12岩手県陸前高田市)
「帰ってきて」
明かりを頼りに死者が帰ってくると言われる「松明かし」を自宅跡地でする女性。震災で母と祖母を亡くし、当時4歳の長男は行方不明。「いつまでもずーーっと帰りを待ってるからね」(2012/8/14岩手県大槌町)
「笑顔輝く」
福島第一原発事故の影響で外遊びを控える子どもたちにと、福島県立美術館に敷布団の巨大オブジェがつくられた。子どもたちの笑顔が輝く(2012/11/9福島市)
「待望 」
津波で大きな被害を受けた宮城県名産の養殖カキが解禁された。県内初の仮設処分場が完成し、殻むき作業をする人たち。「この日を迎えられたことに感謝したい」(2012/10/15宮城県南三陸町)
写真展は5月12日(日)まで開催中。「矢野きよ実被災地支援プロジェクト 子どもたちの心の音―石巻・陸前高田.・亘理・福島より―」も同時開催中。入場無料ですので、お気軽にお越しください。
(A.M)
「第81回 フレッシュコンサート」を3月27日(水)にフォーラム1(2階)で開催しました。
FUSION CONCERT フルート,ピアノ&パーカッション三重奏』と題して、フルートの柴田紗代子(しばた さよこ)さん、ピアノの水口裕美子(みなぐち ゆみこ)さん、パーカッションの桒原みどり(くわばら みどり)さんの3人による演奏を200名以上の方にお楽しみいただきました。
【 左から、柴田紗代子さん、桒原みどりさん、水口裕美子さん 】
◎ 今回の演奏曲は…‥
ドビュッシーやベートーヴェンのピアノ曲、朝ドラのテーマ曲、そして管弦楽曲と「日本の四季」メドレーなどさまざまなジャンルをアレンジした6曲を演奏しました。
第1曲目は、クロード・ドビュッシー (1862-1918)のピアノ曲で有名な「月の光」でした。この曲は、『ベルガマスク組曲』の4曲の中の第3曲目で、フルート、ピアノとパーカッションに編曲した3人による融合した演奏で始まりました。
演奏後、パーカッションの桒原さんから、「愛する人に捧げたフランスの詩人ポール・マリー・ヴェルレーヌ(1844-1896)の『艶なる宴』から「月の光」を作曲した。」ことのお話がありました。
2曲目は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770‐1827)の「エリーゼのために」をジャズ風にアレンジした演奏でした。ラテンのリズムが曲の中に散りばめられ、楽しく、やさしさのある演奏でした。
演奏後、メンバーの自己紹介と桒原さんから演奏に使用するパーカッション(打楽器)の「カホン」、「シンバル」と「ウィンドチャイム」の説明とがメンバー紹介がありました。
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≪ ものしりあれこれ 1 演奏楽器、三つのパーカッションとは… ≫
「カホン(Cajón))」は、Cajónはスペイン語では箱を意味。空洞の直方体形状の箱型に跨って、打ち面やその縁を素手で叩く打楽器です。叩く面(上下、左右)によって低い、高い音や鈍い、鋭い音が出る楽器です。
「シンバル(Cymbal)」は、つば広帽子の形状に薄く伸ばした金属でできた楽器です。
「ウィンドチャイム」は、金属棒(直径数ミリ、長さ数ミリ-数十ミリ)を、数十本の棒を長さを変化するように横に並べて、糸で吊り下げた楽器です。金属棒同士がぶつかり合って高い音が出ます。
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3曲目は、平成6年10月からNHKで放送された連続テレビ小説『春よ、来い』のオープニング曲(松任谷由美作曲)を演奏されました。
ここで、余談ですが、当センターの東にある「栄公園」に数種類の桜が咲いていることご存知ですか。
花びらが淡黄緑色から桃色に変わる八重咲き「ウコンザクラ(鬱金桜)」、枝垂れ桜、山桜などの花見(桜見、観桜)ができます。
4曲目は、べドルジハ・スメタナ(1824‐1884年)作曲の「モルダウ」でした。
この曲は、1874年から1879年にかけて作曲された管弦楽曲で、6つの交響詩からなる連作交響詩『わが祖国』の第2曲ヴルタヴァ(ドイツ語で「モルダウ」)です。合唱や歌曲、ピアノなど様々な編曲で演奏されます。フルートの奏でる美しいメロディーはスメタナの故郷を思う熱い祈りを感じさせられました。桒原さんが打つ、カホンの単独演奏もありました。
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≪ ものしりあれこれ 2 「わが祖国」の曲の構成 ≫
スメタナは、チェコの作曲家、指揮者、ピアニスト。チェコ音楽の祖。
「わが祖国」の曲の構成は、
第1曲 ヴィシェフラド (プラハにあるヴィシェフラド城をテーマに)
第2曲 ヴルタヴァ(ヴルタヴァ(モルダウ)川の流れをテーマに)
第3曲 シャールカ(プラハの北東にある谷の名。チェコ伝説の勇女の名をテーマに)
第4曲 ボベミアの森と草原から(深い森、夏の日と収穫の喜びなどをテーマに)
第5曲 ターボル(フス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを讃えたもの)
第6曲 ブラニーク(フス派の戦士が眠る中央ボベミァ州にある山の名)
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アンコール曲は、2曲の演奏でした。
1曲目は、日本の『四季のうた』メドレーで、「ふるさと」、「朧月夜」、「赤とんぼ」そして「雪ふるさと」のメドレー演奏でした。
2曲目は、「風の詩 THE世界遺産 小松涼太(1973- )作曲」を演奏しました。
観客の皆さんは、いつも聴きなれている名曲が異なる形に編曲されていることに驚くとともに、とても楽しんで聴いておられました。
来場の皆さんからは…‥
◎ 今回が初めての方々から
・『久しぶりの生の演奏に感動した。心が浄化された思いです。「モルダウ」のメロディーは知っていた。本当にありがとう。』《60歳台、女性》
・『大変良かった。気軽に聴ける感じや演奏者の方々が楽しそうに弾いている感じに聴き入っていました。』《20歳台、男性》
◎ いつも来られる方々から
・『とても素敵な演奏でした。子どもと一緒に来てよかったです。フルート,ピアノ&パーカッションの組合わせは初めて聴きました。綺麗で、アレンジもよかったです。』《30歳台、女性》
・『「モルダウ」を注目して待っていた。スメタナの交響詩「わが祖国」のモルダウが特に好きで自然に涙が出た。』《70歳以上、男性》
など、様々な感想をいただきました。ありがとうございました。
≪ 出演後のメッセージは…‥ ≫
水口裕美子さん
♪フレッシュコンサートに出演して
先日はフレッシュコンサートに出演させていただきどうもありがとうございました。
当日は立ち見が出るほどのたくさんのお客様に集まって頂き、
たくさんの方々が笑顔で聴いてくださる中、3人でとても楽しく演奏することが出来ました。
皆様にも楽しんで聴いて頂けていたら大変幸いです。
今回、このような演奏のチャンスをいただけたこと、大変感謝しております。
足を運んでくださったお客様、スタッフの皆様、どうもありがとうございました。
桒原みどりさん
この度はフレッシュコンサートに出演させて頂き、ありがとうございました。
ご来場頂きました皆様、本当にありがとうございます。
皆様とご一緒に楽しい音楽の時間を過ごせる事ができました。
そして関係者スタッフの皆様、当日は楽器のセッティングなど色々とお世話になり、
本当にありがとうございました。この経験を活かして、これからも頑張りたいと思います。
さて、次回は、平成25年度最初の開催となります。
第82回フレッシュコンサートを、平成25年4月24日水曜日のお昼(午後0時15分-0時45分)にフォーラム1(2階)で開催を予定しています。
『セントレアの海 フルート、ピアノ&お筝 和と洋のコラボレーション』と題して、横山智里さん、前田里奈さんと早川みどりさんによるお馴染みの春を告げる曲、クラシック曲などを「和と洋のコラボレーション」で、演奏を予定しています。
◎ ○ ◎ お知らせです ◎ ○ ◎ ※受付終了しました平成25年度下半期(平成25年10月から26年3月まで)の「愛知芸術文化センター フレッシュコンサート出演者」を募集しています。ご応募は、平成25年6月24日(月)までに「フレッシュコンサート出演申込書」をご提出ください。
多くのご応募をお待ちしています。
(M.K)
ドイツの巨匠ウォルフガング・サヴァリッシュ氏が今年2月22日に亡くなられました。氏の偉業を偲び、氏の関連本や写真などをアートプラザで展示しています。
サヴァリッシュ関係図書として、アートライブラリーには次の2冊が所蔵されています。
・『音楽と我が人生』(ウォルフガング・サヴァリッシュ著、真鍋圭子訳 第三文明社)
・『サヴァリッシュの肖像』(ハンスペーター・クレルマン著、前田明雄訳 日本放送出版協会)
前者は自伝ですが、表紙を開けてびっくり。サヴァリッシュ氏のサインとともに「NOVEMBER 1992」という年月が書いてありました。更に、あとがきには、訳者である真鍋圭子氏(現サントリーホール エグゼクティブ・プロデューサー)の署名もありました。通常、図書館の蔵書にはサインはしないのですが、これはきっと何か経緯があるはずだと思い、調べてみました。
サイン入り自伝『音楽と我が人生』
「バイエルン国立歌劇場1993/1994年鑑」(左)と『音楽と我が人生』の表紙(右)
1992年11月はサヴァリッシュ氏がバイエルン国立歌劇場とともに、愛知県芸術劇場での杮落とし公演のため滞在していた時です。オペラ準備を担当していた田中民雄氏(当時愛知県文化振興事業団課長補佐)に伺ったところ、その経緯がわかりました。
田中さんにその時の経緯やエピソードなどを寄稿いただきましたので、ご紹介いたします。
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「名総監督サヴァリッシュ氏と愛知県芸術劇場」
1992年11月、オープンした愛知県芸術劇場のこけら落とし公演は、バイエルン国立歌劇場によるリヒャルト・シュトラウスの『影のない女』で幕を開けた。
その時の総監督が、ヴォルフガング・サヴァリッシュ氏であった。あれから20年、そのサヴァリッシュ氏が今年2月22日ドイツ・グラッサウの自宅で亡くなった。89歳であった。
「このホールは、すばらしいコンサートホールになるでしょう。でも、もう少し客席を長くすれば、もっとすばらしいホールになると思うが、伸ばせませんか?」。これが1991年9月に建設中のコンサートホールを視察したサヴァリッシュ氏の第一声であった。彼は、ワインヤード型のホールよりも、ヨーロッパ伝統のシューボックス型のホールの方がお好きなようだった。
視察を終えたあとの記者会見で、サヴァリッシュ氏は、「来年この劇場で本当のプレミエ(初演)、オペラの歴史に残る新しい出来事を体験するでしょう」と予告した。さらに彼は、「オープニングで上演する『影のない女』は、日本とドイツの両国にまたがる文化のかけ橋となるであろう」と語った。この言葉は、当日のプログラムの彼のあいさつにも書かれている。
当初、世界初演はバイエルン国立歌劇場で行われることになっていた。ところが、バイエルン国立歌劇場の舞台機構にアクシデントが生じ、改修する必要が生じたため、急きょ世界初演を新しくオープンする愛知県芸術劇場で行った。思わぬアクシデントのおかげで、新設の愛知県芸術劇場が世界初演の栄誉を歴史に残した。
愛知での世界初演を、総監督のサヴァリッシュ氏は決断した。愛知に決めた理由は、計画どおり劇場が完成することを事前の視察で確かめていたこと。そして、両劇場の関係者の間に強い信頼関係ができていたためである。
サヴァリッシュ氏とドイツ留学経験のある愛知芸術文化センターの飯島宗一総長とは、初対面の時から、お互いをdu(君)で呼び合う親しい間がらであった。一方、両方の技術スタッフたちも、信頼と仲間意識が十分にできていた。これには、この劇場の建設委員で舞台監督の小栗哲家さんの存在が大きかった。小栗さんは、愛知県半田市出身で、優れた舞台監督として海外で広く知られており、バイエルン側の技術スタッフは、小栗さんに全幅の信頼を寄せていた。
サヴァリッシュ氏は、事前に劇場を視察した時に、劇場の総監督の仕事として、約400人に及ぶソリスト、オーケストラ、コーラス、そしてスタッフが宿泊するホテルを下見し、ソリストたちの部屋割りも自分で決めていった。
公演本番の2週間前、オーケストラだけの練習が大ホールのオーケストラピットで始まった。この日は、まだサヴァリッシュ氏が指揮する予定の日ではなく、リハーサルは練習指揮者が進めていた。
そこへ、客席のうしろ扉からサヴァリッシュ氏がホールに入ってきて練習を見ていた。しばらくするとサヴァリッシュ氏は、背広を脱ぎ、白いワイシャツ姿でオーケストラピットに降りてゆき、指揮をし始めた。するとオーケストラの音は一変し、リヒャルト・シュトラウスの重厚なサウンドが大ホールに響き渡った。オーケストラから流れ出てくる音は、CDで聴いていた音とは全く異なり、ホールで聴く音は全く別世界の音だった。
結局、彼は『影のない女』の第1幕を、途中止めることもなく通してしまった。本番そのものの演奏だった。時間にして約30分。客席で聴いていた私は、思わず「ブラボー」と、小さな声で叫んでしまった。
サヴァリッシュ氏は、演奏旅行にメヒトヒルト夫人を同行してきた。夫人は、母親のように温和な性格のすてきな女性で、いつも夫のそばにいた。サヴァリッシュ氏は、いつも「ごめん、ごめん」と言いながら夫人に優しく語りかけ、夫人は、毎日ホテル近くのデパートの地下売場へ出かけ、夫のためにパンを買い求めていた。
11月8日から始まった世界初演の公演は、国内外からやってきた多くの観客に深い感動を与えた。公演は、国内外の新聞や雑誌、テレビなどで報道されるとともに、高い評価をもって祝福された。
その後、『影のない女』は、高い評価を証明するように、ミュンヘン国立歌劇場でレパートリーとして、たびたび上演されている。
文化情報センターのアートライブラリーに、サヴァリッシュ氏の著書『音楽と我が人生』がある。サヴァリッシュ氏に、来館の記念にサインをお願いしたところ、彼はすごいスピードで見事なサインをした。同行していた翻訳者である真鍋圭子さんも、本の最後のページにサインをして来館の記念とした。
我が家に、セラミックスで作ったバイオリンの形をした白い風鈴が掛っている。同じ風鈴をサヴァリッシュ氏にプレゼントした。彼は、風鈴が気にいったらしく「この風鈴を掛ける場所をもう決めましたよ。」と、嬉しそうに鳴らしていたのを思い出す。
サヴァリッシュ氏が逝ってしまった今、「日本とドイツにまたがる文化のかけ橋」を渡って、素晴らしいオペラ作品をドイツに届けることが、サヴァリッシュ氏に対する恩返しかもしれない。
今は、ただご冥福をお祈りするのみである。
2013年4月1日
前日進市副市長 田中民雄
(元愛知県文化振興事業団課長補佐)
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日本初のオペラハウスである愛知県芸術劇場オープン当時の熱気や、この公演にかけるサヴァリッシュやスタッフの熱い思いが生き生きと伝わってきます。貴重な証言ですね。
田中さん提供の写真も展示しています。
サヴァリッシュ(右から4人目)と先代猿之助(右から3人目) 東急ホテルでの歓迎パーティにて
サヴァリッシュ夫妻(後列右から2,3人目)を囲んで記念撮影(ナゴヤキャッスルにて)
また、サヴァリッシュのCD、映像作品もアートライブラリーに多く所蔵していますので、こちらもぜひご利用ください。
(A.M)