LIFE IS ART | interview 02
「本当の美術とは」 自問自答と作品の記録 斉と公平太

みんなに届けるアート作品《LOVEちくん》《ARTくん》。《オカザえもん》を世に生み出してから10年。
斉と公平太は現在コラム執筆に注力しつつ、アイデアを練り上げている。
美術への根源的な疑問が湧き続ける現代美術作家の、今までとこれからについて。
聞き手/愛知県美術館 主任学芸員 副田一穂 撮影/千葉亜津子

斉と公平太 Kouheita Saito

1972年愛知県生まれ、愛知県在住。95年名古屋造形芸術大学卒業。2005年第8回岡本太郎記念現代芸術大賞展にて特別賞を受賞。主なグループ展に「あいちトリエンナーレ2010」、「アイチアートクロニクル1919-2019」。17年より中日新聞ウェブにてコラム「芸術は漠然だ!斉と公平太のムダに考えすぎ」連載中。



斉と公平太《ARTくん》2009-2010年
書類、絵画、ポスター、ぬいぐるみほか サイズ可変

「本当の美術」をやる覚悟でオリジナルな作品が誕生――

副田(以下、副) 「美術とは何か」という大きな問いに取り組むようになったのは、どういう経緯だったんでしょう。

斉と公平太(以下、斉) 学生時代から考えてはいたけど、その頃はアートで食べていくって気持ちが強すぎて、軽いノリというか甘い考えでやってた。でも途中で食っていける食っていけないじゃなく、本当に美術のことをやんなきゃまずいなって思うようになって。売れることもなさそうだし、じゃあ完全にオリジナルで新しいのは何かって考えて、普通の人にも届くようなものを作ろうって思った。そもそも僕が最初に西洋美術を意識したのは、永谷園のお茶漬けのおまけカードなんだよね。で、芸術家のモデルはドラマでやってた『裸の大将』の山下清。80年代後半から90年代にかけて音楽も現代美術もワッといろいろ出てきて、イラストレーターになりたい人が多くて、でもイラストみたいな絵を描いてんじゃねえ!みたいな態度も一方であって、そういう環境が自分の美術を見る基準になってる。それが果たして良かったのかは、批評の変遷も含め反省的に見てるけど。

作って終わりではなく、そこからはみ出ること――

副 流行りの現代美術的手法から制度批判的なものへと移行したのは、2005年の岡本太郎現代芸術賞あたりからですか。

斉 その賞金で関東から愛知に戻ってきて、とにかくお金がなくて公募ガイドを読んで応募しまくってた。年齢制限を超えてる芸術祭にあえて応募したりして、アーツ・チャレンジ(2008年)の《LOVEちくん》もそういう気持ちで当落は気にせず出したら通してくれて助かった(笑)。でもとにかく通りづらい作品ばっかり作ってるから、通らないね。作りたいものはたくさんあるんだけど。で、2012年に《オカザえもん》のちっちゃい画像を作って発表したら、想定外の反響があって。10年前に作った作品にここまで自分が引きずられるなんて、想像を超えている。地名みたいなパブリックなものをキャラにしちゃっていいのかとか、どこの自治体でもやってることだから美術ってことで特別視もしたくないとか、そういうのも含めてどうなるか見ている感じ。壮大な実験みたいだ。

副 美術に関心のない人にもかなり広く伝わりましたもんね。

斉 そう。自分のやってることがすんなり受け入れられるとは思ってないけど、頭で考えたり概念だけ提示するんじゃなくて、実際にやらないと起こらないことが重要なのかもしれない。ぬいぐるみ可愛いですね、みたいな反応も含めて美術ってものにそんなに興味のない人の考えを聞いたりして、でもその人が感動した気持ちは嘘じゃないわけで。愛知県美が《ARTくん》を収蔵してくれたでしょ。でも「あんなもの買いやがって」って思う人もいるはずで、それに何て答えるかなって考える。「2021年の時点で美術館がこれを収蔵しようと思ったことの記録」だって答えるかな。それも作品のコンセプトだと思ってるから。



美術の起源を自分で探り、新しいアウトプットへ――

副 今はどんなことに関心があるんですか。

斉 人工知能に錯視を見せるとどうなるかとか。人工知能も錯覚するらしくて、じゃあ意識があるのか?って。結局「見る」ってどういうことかを遡って考えたいんだよね。僕は1972年に生まれて90年代に見たものが規範になってるけど、そういうのはもう通用しないかもしれなくて、じゃあいっそ生物に目が誕生してから現在までどうやってものを見てるのかまで広げて考えてみたいわけ。単に生存のためだけじゃない目の役割。まあそういうアイデアは公募には通んないんだけど(笑)。あとは美術がいつ始まったのか、起源についても調べてる。石器が作られたのが最初だとか、人の顔に似た石を拾って持ち帰ったのが最初だとか、いろんな説がある。

副 そういうリサーチのアイデアが公募に通ると、作品になっていくわけですね。

斉 そう。でも中日新聞ウェブでいま連載コラムを書いてて、これも作品だと思ってる。テキストって結構重要で、誰でもアクセスできるし、コンセプチュアルなことを書ける。作品のことも書いてるし、実現できないアイデアも書いてます。結局、僕個人の歴史と、美術史みたいな1000年、2000年ってタイムスケールとをどう統合するかを考えてて、だからたとえば名古屋から東京まで歩いてみて、時間のことを考えたりしたい。美術の起源と時間、視覚のこと、もう芸術統一理論だね(笑)。美術ってよく生活に直接関係ない、意味のない行為だって言われるけど、石器は生活に結びついてるし、星を眺めるのも暦との関係でいえば生活だけど、それを知らなきゃ意味はない。だから美術とは「意味を待機してる状態」だって定義してみた。意味がないってのも釈然としないけど、役に立つものを作ってるわけでもない。だから「意味を待機してる状態」。そういうのが今僕の考えてる美術です。



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