愛知県美術館所蔵の《Tiles, 髪》2007(左)および《Painters》2009(右、博士前期課程修了作品)の前で。

LIFE IS ART | interview 01
「複数の世界をひらく絵」を思考し探求する 坂本夏子

愛知県立芸術大学在学中から白土舎(奈良美智などを見出した土崎正彦氏の画廊)で個展を行い、
注目されてきた坂本夏子。活動当初から現在にわたる、絵画を構築する独自の方法論の変遷、
今秋に追悼特集展示を開催する恩師・設楽知昭のことを中心に話を聞いた。
聞き手/愛知県美術館 企画業務課長 深山孝彰 撮影/千葉亜津子

坂本夏子 Natsuko Sakamoto

1983年熊本県生まれ、東京都在住。2012年愛知県立芸術大学大学院美術研究科博士後期課程を修了。在学中に絹谷幸二奨励賞(09)とVOCA奨励賞(10)を受賞。多数のグループ展に参加するほか、13年には倉敷での3か月の滞在制作による大原美術館の個展で大作を発表して話題に。

左から《Signals, re-constellation》《Signals, mapping》《Signals, module》
2019
oil on canvas
3点組各194×130cm 個人蔵
Photo by Ichiro Mishima

新作《Tiles|Signals(Quantum Painting 001)》制作風景
2021
oil on canvas
194×162cm

新作《Tiles|Signals(Quantum Painting 001)》一部拡大

新作《cubit-digit-qubit》制作風景
2022
Encaustic and oil on canvas
194×130cm

絵画に親しみ、 美術専門の道へ――

深山(以下、深) 坂本さんが絵を描き始めたきっかけを教えてください。

坂本夏子(以下、坂) 母が美術好きで家に画集がたくさんあり、美術館にも連れていってもらい、少なからず影響を受けています。将来にさまざまな選択がある中で、当時なぜか早く自分の専門を決めたくて、絵を描くのが特別上手な方でもなかったのですが、美術高校に進んで。幼い頃や高校時代もそうでしたが、美術における価値判断の不確かさやわからなさにとまどう一方で、芸術の持つ自由さに惹かれ続けていて、そこに近づきたかったんだと思います。

恩師・設楽知昭との出会いと、独自の方法論のはじまり――

深 2003年に愛知県立芸術大学に入学し、設楽知昭先生に師事するまでの経緯についてはいかがでしょう。

坂 入学して間もなくの講師紹介で設楽知昭先生(以下、設楽先生)が、「何かを描こうとすると何かの模倣になってしまう。どうやったらそこから逃れることができるのか」とおっしゃっていて。その言葉はすぐには理解できませんでしたが、絵とは、私とは何かという“わからなさ”を抱えながら描く方法を実践されていることが印象的でした。もっと話を聞きたくて、設楽先生の講座があれば選んで受講するように。大学院では、先生の研究室でお茶を飲みながら絵についてたくさんのディスカッションをしました。よく議論したのは、絵を構築したり思考したりするときの順序や絵の組み立ての原理についてでした。ただ先生の絵の独自の世界というのはこういった方法論だけで紡ぎ出されるのではないと、43点組の大作である《人工夢》の制作過程を間近で見ていたときに強く感じて。先生は、この世ならざる世界の手触りを絵具に伝えることのできる稀有な感覚の持ち主でもありました。そこは学ぶことがかなわない領域でしたね。

深 ちょうど坂本さんたちが学部生の頃、設楽先生の作品にイメージが増殖し、空間が複雑になりましたよね。ところで、坂本さんは白土舎でのデビュー当初から独自の方法論を持っている印象がありましたが、それはどこから生まれてきたのですか。

坂 大学3年生くらいまでは描くものが自分から発したものと信じられるまでに至らず、作品ができなくて鬱々とドローイングをしていました。私はイメージを信用することや固定することができず、たとえ自分が描いたものだとしても、そこに根拠が足りないと思ったんです。見たことのないものを見てみたいというのが常にありながら、イメージが先だとうまくゆかない。既知のものやすでにある様式にすぐにからめとられていってしまって、描きながら不自由さがつきまとう。自分の思考の範囲を超えることはとても難しくて。であれば「まずはプロセスを解体して、描きながらまた組み直してみよう」と思って、一手一手パズルのピースを積み上げるようにタイルを描いてみました。一度描いたところには戻らないことをルールに。だんだん歪んでいくズレや不条理の負荷を自分にかけることで、絵と対峙できたんです。絵に入り込んで予想しえないものが立ち上がるのを体験できて、自分で描いた実感がようやく生じた気がしました。

深 19年の個展では、空間に座標を示すような絵を発表されましたね。

坂 「絵でしか表せない世界」について考え、追求することは、自分を探ることでもありましたが、だんだん自分が認識している世界の見え方や、 実際の世界のあり方も急激に変化した実感が強くなってきていました。それに伴って、絵のフレームの設定を変えないと、いま私が認識している世界と絵と自分との距離がうまく測れない気がしました。そこでたまたま選びがちなキャンバスサイズと手をめいっぱいに伸ばした自分の身体サイズが同じだったのですが、それを一つの尺度にしてみることにして。自分と世界と絵の距離を測り直す試みでした。そこから自由に思考が動き出した感覚があります。

深 絵というのは、小さい画面にも大きい空間を描けるわけですが、フレームの大きさというと、その中におかれる空間は実際の大きさにとどまるのか、画面の向こう側にも放射状に広がっていくのか。いかがでしょうか。

坂 先ほどのフレームというのは実際の大きさではなくて、絵の中に何かをたとえるときに設定されうる大きさですね。キャンバスは、どんなに大きくても世界より小さい。けれど、絵はあらゆるスケールを可能にして世界をつくってしまうから。

複数のルールを内包し、観る人による鍵で開く可能性を秘めた新境地――

深 なるほど。最後に、今後挑戦したいことについてお聞かせください。

坂 理想を言えば、年齢や国、時代などを超える、普遍的な問いになりうるようなものを考えながら、描いていきたいです。新作は初期の方法論を引き継ぎつつ、単位やモチーフが駆動させる世界を複数にすることに挑戦しています。絵のモードを幾何学から量子力学にシフトするイメージで。情報を重ね合わせたふるまいをする波や粒子をモデルに、光と影、雨や手触り、いくつかの尺度などを同じ絵具の上に重ねてみたい。そして観る人の時間や感情、思考のグラデーションによって別々の鍵で開かれるいくつもの解が具体的に内包されている世界を、絵によって実現したいと思っています。とても困難でしょうけれど。開かれすぎた自由ではダメで、観る人の認識のどこかにハマり、何かを揺さぶるもの。これまで私は、実際には出会うことのない過去や遠くの画家たちの作品にもたくさん勇気づけられてここまできて、それはやっぱり希望だと思っているので。自分が埋め込んだもの以上の鍵穴がある絵をいつか描けるように、私も描き続けます。

2022年10月29日(土)~12月25日(日)
2022年度 第2期コレクション展
展示室4「追悼 設楽知昭」
場所/愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
時間/10:00~18:00※金曜は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休館日/毎週月曜日
料金/一般500(400)円、高大学生300(240)円、中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体料金
※「ジブリパークとジブリ展」のチケットでもご覧いただけます。

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