向井山朋子ピアノ・コンサート
「haar/haar(彼女の/髪)」
向井山朋子のピアノ・コンサート〈haar/haar(彼女の/髪)〉は、
時間と空間のねじれ現象を実現した。ここでは、時間は空間的事象によって体験され、
空間は時間的事象によって体験される。時間と空間が交差しあっているのだから、
視聴覚の交錯効果による時空間の次元交替、というべきかもしれない。
アムステルダム在住で現代音楽のエキスパートである向井山は、近年、コンサートホールから
出てサロンや個人の家庭にまで赴いて演奏するアウトリーチ活動も展開している。
常に、演奏の「形態」にこだわる人だというわけだ。今回の演目《sonic tapestry U》 は、
16世紀のヤン・ピーテルスゾーン・スェーリンクから現代日本の佐藤聡明まで、
古今東西の多彩な楽曲を渉猟しながら自在に即興演奏を繰り広げ、そこに映像とノイズを
重層化する、という「形態」をとっている。この演奏形態が「ねじれ」を実現したのである。
〈haar/haar(彼女の/髪)〉に付された副題は、「テクノロジーとピアノと身体の
コラボレーション」。前後を客席に囲まれた床面長方形のスペースに、向井山の身体の
左右が客席に向くようにピアノが設置される。そしてピアノの前後を囲む二つの壁面に
大型スクリーン。向井山自身が製作した映像が投影されるが、スクリーンに「何か」が
投影されるのはほんの数分程度。つまり、演奏のためのホールは、幾何学的に
シンメトリカルな空間として戦略的に創られるものの、映像は視覚を刺激して
異次元空間を創り出すような、あからさまな効果を狙って作られているのではない。
ヴォルフガング・リームやジョルジュ・リゲティといった現代作曲家の超絶技巧作品は
比較的長い時間演奏されるが、多くの場合それらの作品は抽象的に。
いわば「むずかしい音楽」と聞こえるかもしれない。差し挟まれる、束の間の溜息のような
ショパンやラヴェルの耳慣れた曲。しかしながら、具体的な音として聞こえるこれらの
調性音楽は、わざとらしい響きの起伏や激情によって心をかき乱したりしない。
そこへ、観客を飛び上がらせるほど突然に、大音量でホール四方からノイズが襲いかかり、
激しいトレモロがノイズと重なり合うように出発する。やがて佐藤聡明の透明な反復音響が
ホール空間に立ち上がる。反復時間がことさらに長く延び、時間の伸張と空間の広がりが
同じ方向へと収斂されていく。そして、気まぐれとも攻撃的ともとれる向井山の
ピアニズムに、ピッタリと寄り添って出て来るシューマンの寓話的ロマンティシズム。
やがて即興的な和音やモチーフを経て、響きは雲散霧消する。向井山は静かに立ち去り、
「彼女の髪」を大映しにした映像が、永遠の時間を象徴するかのようにホールに残る。
確かに《sonic tapestry U》の中にベートーベンやリゲティはあったが、一定時間の中で
それらの作品が生成し、生長し、終結する、という、完結型の時間は無い。
あれほど多くの作品を、中断されない時間経過の中で聞いていたにもかかわらず、
「生成-終結」という、お決まりの時間体験は無かったのである。
それは「彼女の髪」の映像が、空間的アピールを成さなかったことと符合する。
向井山は、連続する60分間の音楽演奏によって、時間体験を、意図的に不完全なままに
しておく。作品の始まりと途中経過と終結は、彼女が現われ、彼女の筋肉が激しい演奏に
よって動物的に振動したという事実、そして彼女がいなくなったという事実、
として体験される。音楽による時間体験ではなく、彼女の存在と不在という空間体験が
印象づけられる。空間は、映像や幾何学的会場演出という効果のための視覚要素ではなく、
分断された聴覚時間によって創られる。逆に、時間は、何も生起させない寡黙な映像の
視覚要素によって意識される。これはまさしく、時間と空間の「要素交換」である。
水野みか子(作曲家・名古屋市立大学助教授)
Photo : Tatsuo Nanbu
※「haar」はオランダ語で、彼女および髪の両方の意味。
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