ベン・ニコルソン展
イギリスの詩情—重奏するかたち—

 世の中には、複製図版を通じて知っている作品の実物を見て「これが本物か」と思う 程度の作品があれば、「本物は違うなあ」と驚かされる作品もある。 20世紀のイギリスを代表する画家ベン・ニコルソン(1894–1982)の作品は、 あきらかに後者に属する。 ニコルソンは高名な画家ウィリアムの重厚なリアリズムから出発し、ピカソやブラックの キュビズムといった、大陸における前衛的な運動の影響を受けながら、 自己の芸術を完成させていく。彼の終身変わらぬ主題は、風景画と静物画であった。 一方でまったく抽象的な作品も描いており、この具象と抽象という両極を揺れ動くなかで、 清澄な独自の作風を展開しているのが、ニコルソンの芸術の大きな特徴である。 1930年代の初めにおける彫刻家バーバラ・ヘップワースとの出会いは、 ニコルソンに決定的な影響を与えた。それは、平面作品であるタブローから立体感のある レリーフへの展開として現れる。ニコルソンのレリーフは一見すると支持体にボードを 貼り重ねているように見えるが、実際にはボードを段階的に彫り下げていって いくつかの平面をつくるという手の込んだ仕事をしている。 無機的な素材から不要なものを取り除くことで作品を現出させるというこの手法は、 石彫を得意とするヘップワースの影響によるものである。 レリーフには当初、色が塗られていたが、白一色のきわめて禁欲的な<ホワイト・レリーフ> の連作に進み、やがて独特の渋みを持った肌合いをもつようになる。 こうしたレリーフ作品は、ニコルソンの芸術の大きな部分を占めているとはいえ、 彼は絵を描くのをけっしてやめることはなかった。
 ニコルソンの実作品が日本で紹介されるようになったのは、1950年代からである。 1952年から世界の現代美術を紹介する国際美術展が開催され、イギリスを代表する画家の ひとりとして第一回展に3点出品されたのを皮切りに、53年の第二回展に14点、 55年の第三回展に6点(東京都知事賞受賞)、57年の第四回展に3点が展示され、 その芸術が広く認知される契機となった。 これら一連の紹介を通じてニコルソンの作品から刺激を受けた画家の一人に難波田龍起がいる。 作風に影響が見られるのとは別に、彼はニコルソンに関する文章もいくつか執筆している。 とりわけ以下の文章は、日本的視点でとらえている点とニコルソンの作品のかなり本質的な 部分を指摘している点で興味深い。 「ニコルソンの作品は、日本国際美術展に度々イギリスから送られて来ているので、 我々には親しみ易く、日本人の趣味性や気質に溶け込む要素をもっている抽象絵画である。 ...画面の肌の緻密な構築は類がないように思われる。東洋の古陶器の肌に感じる高雅な味わい さえ伴っている」(難波田龍起『世界の名画』美術出版社、1958年:[再録]『古代から現代へ』 造形社、1970年)。難波田はここでニコルソンの「画面の肌」つまりテクスチュアに注目し、 日本的視点から「古陶器の肌」を類推することで、ニコルソンの作品が「日本人の趣味性や気質に 溶け込む要素をもっている」ことを指摘している。ニコルソンにとって作品のテクスチュアは、 ひじょうに重要な要素であり、難波田はそれほど多くない招来作品の中に画家=制作者の目に よって、そのことを鋭く感じ取っていた。 油絵にしろレリーフにしろ、ニコルソンの作品はひじょうに手の込んだつくりをしているのが 普通である。油絵では塗ったり削ったりの繰り返しによって、複雑な肌理をもった絵肌を つくりあげ、レリーフでは彩色した表面にサンドペーパーをかけてザラついてかすれた テクスチュアにするのが常套手段である。
こうしたテクスチュアはニコルソンの作品がもつ魅力の大きな要因であり、複製図版では なかなか再現できないものである。 1980年代後半以降、わが国の美術館でもニコルソンの油彩画やレリーフが収蔵されるように なり、実作品を見ることのできる機会が増えてきているとはいえ、まとまった数の作品を一堂 に展示するこうした展覧会は、わが国では10年ぶりで、ニコルソンの芸術に直接触れること のできる絶好の機会である。

(H.F.)