身体の復権と総合舞台芸術の再生

 愛知芸術文化センターが2月22日に知立市文化会館で催した「ダンス・オペラ」は、 シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』とストラヴィンスキーの『兵士の物語』を、 まったく新しい形式・演出で上演するという稀有な公演だった。 とくに後者は原作を脱構築して『悪魔の物語』という新たな題を付された。
 もともとこの2曲には、小規模のオーケストラと声という編成が同じであるばかりでなく、 その声がたんなる「歌」ではないという共通点がある。前者の場合、歌は伝統的なベルカント唱法 ではなく、シュプレッヒシュティンメという、歌と語りを合わせたような独特の唱法で歌われる (語られる)、(シュプレッヒシュティンメ:荻野砂和子)。ストラヴィンスキーのほうはもはや歌ではなく、 ナレーションであり台詞である。今回の上演は、その形式のもつ意味を問い直し、 際立たせたといえる。とくに『悪魔の物語』での台本執筆と語りに活動弁士の澤登翠を起用した ことは「大当たり」だったといえよう。
 今回の上演ではさらに、音楽にダンスが加わった。『月に憑かれたピエロ』では、 独自のスタイルを確立しつつある平山素子と上村なおかの共同振付(構成・演出:唐津絵理)、 『悪魔の物語』では香港のユーリ・ンの振付により、笠井叡、シン・ラン、白井剛、越智友則らが 踊った。悪魔役の笠井はほとんど終始客席に背を向けて座っていながら、その存在感で舞台を制圧して いた。
 また、両作品とも斬新な舞台美術を伴っていたことも忘れてはならないだろう (『月』:合志崇、『悪魔』:イーウィン)。
 このように「声」と「ダンス」という身体性を中心に据えた総合舞台芸術、 それが愛知芸術文化センターの提案するダンス・オペラなのだろう。 しかしこれはまったく新しい様式ではない。本来、舞台芸術は総合的なものだった。 それが19世紀ヨーロッパにおいてしだいに分化していった。 オペラ歌手は動かなくなり、バレエ音楽は二流になっていった (それでもまだ、たとえばパリ・オペラ座ではオペラにかならずバレエを入れるという規則があった)。 20世紀初頭に、バレエを中心にして総合舞台芸術を復活させようとしたのが、 セルゲイ・ディアギレフの率いるバレエ・リュスである。 だが、バレエ・リュスの解散以降、舞台芸術はふたたび還元主義に支配され、細分化の方向を辿った。 何もない舞台でレオタードだけのダンサーが踊る、というダンスが多くなる一方、 目を閉じて聞く音楽が増えていった。
 だが、世紀の四分の三を過ぎた頃からふたたび総合性を志向する動きが出てきた。 その動きを推進してきたのが、モーリス・ベジャールであり、ピナ・バウシュである。 その方向性を独自の視点から推し進めようというのが、今回の企画の趣旨であろう。
 身体性を中軸にするということは、いいかえれば「ライヴ体験」を重視するということである。 楽器演奏に身体性がないとはいわないが、それはあくまで楽器に媒介されている。 それに対して声やダンスの魅力は、生でないとなかなか伝わらないものである。 ダンスのビデオは、あくまでライヴの代用品でしかない。 知立市文化会館の観客は身をもってそれを実感したのではなかろうか。
 さて、愛知芸術文化センターは翌週の28日、愛知県芸術劇場大ホールで、 今度は「あいちダンス・フェスティバル/ダンス・クロニクル(舞踊年代記)〜それぞれの白鳥〜」 を催した。前週に引き続いて上演された『悪魔の物語』を挟んで、11のバレエ(とダンス)が 上演された。この催しは、愛知県の複数のバレエ団が共演するという意味でも画期的なものだったが、 たんなる合同公演に留まらず、実演によってバレエ史を辿るというプログラム構成の面でも 画期的だった。そんな公演はこれまで観たことがない。
 プログラムは、ロマンティック・バレエからクラシック・バレエを経て 、先にも触れたバレエ・リュスにいたる(そこから現代まで一気に下ってしまったが、 それは仕方のないことだろう。20世紀の作品を上演するには莫大な著作権料が必要だからである)。 最後に『シャブリエ・ダンス』を踊ったゲストの上野水香は、日本のバレエが到達した頂点の一角を 示し、観客や出演者たちに深い感銘を残したにちがいない。
 この二つの公演は、一見すると前者はたんなるコンテンポラリー・ダンスの、 後者はバレエの公演というふうに見えるかもしれないが、先に述べた身体性の復権と総合舞台芸術の 再生という主催者の企図が両者を貫いている。この試みが継続されれば、日本全体の舞台芸術の 状況への大きな刺激になるだろう。

鈴木 晶 (法政大学教授・身体表現論)