あいち芸術文化フェスタ2002
CARMINA BURANA
2002年11月6日(水)
愛知県芸術劇場大ホール
新しい芸術の創造を目指して
『春の祭典』から『カルミナ・ブラーナ』へ
「20世紀芸術史の大事件」といわれたディアギレフのバレエ・リュスが、最初にパリの観客に衝撃を与えたのは、ボロディンのオペラ『イーゴリ公』第2幕のダンスの場面を独立させた『ポロヴェッツイアン・ダンス』である。当時この舞台は、「音楽とダンスが分ちがたく結びつき、その二つが別個に存在すると思うことが不可能だった」と評された。ここではボロディンの血のたぎるような音楽、フォーキンの躍動的な群舞主体の振付、ニコライ・レーリヒの神秘的で透明な色彩の美術が拮抗して飛躍的なイメージが生れ、観客に深いインパクトを与えた。この観客を熱狂させたバレエ・リュス初期の鮮烈なエネルギーは、今日の屈折した身体と精神を否定し太古の人間を賛美するプリミティヴィスム(原始主義)だったと言われる。それが後に傑作『春の祭典』へと発展するのである。
本拠地の劇場をもたないツアー・カンパニーだったバレエ・リュスは、優れた創造者の集団であったが、やはり、辺境のロシアで壮大な芸術的野心の焔を密かに燃やしたディアギレフ個人の超絶的なエネルギーを拠り所とした。総合芸術を目指したディアギレフという軸が、個々の芸術家たちの創造力を発揮させた。激動期の芸術家個人の研ぎ澄まされた尖鋭な問題意識が、危ういスキャンダリズムを背景にしつつ、相互のジャンルを侵食し、飛躍的なエネルギーを得ていたのである。
およそその100年後の名古屋。愛知芸術文化センターの文化情報センターは、芸術文化の情報を集約するアートプラザやライブラリー、アートスペースを使って、ダンスや映像、音楽の企画を主催し、この10年間さまざまな活動を展開してきた。その柱は、ジャンル間のコラボレーションであり、ダンスと音楽など、ジャンルを越境した新しい創造活動への取組であった。
バレエ・リュスの時代に比して、今日ではジャンルは錯綜し観客の意識も多様になっているが、越境する芸術的スピリット、勇気、エネルギーこそが大きな感動を創ることができるという法則に変わりはない。とりわけ文化情報センターは、日本でも有数な高度文化複合施設を活かし、ダンス、音楽、映像、言葉などのジャンルを統合した21世紀をリードするコラボレーションを目指してきた。
たとえば、96年から98年まで、ダンス・音楽・映像が一体となって、愛知芸術文化センター入り口の吹き抜け空間を使った大規模コラボレーション。米井澄江やオーストラリアのスー・ヒーリーなどの舞踊家が加わり、98年にはメルボルン国際フェスティバルへの参加へと発展した。99年には『春の祭典』を多面的に特集して、H・アール・カオスの公演、展示、トークなどが集中して開催された。2000年は200名が参加した中馬芳子指揮による一般参加イベント『未完成交響曲・名古屋組曲』。これら多彩多岐にわたる企画のキーワードは、<身体>、<コラボレーション>、国家・民族・ジャンルの<ボーダレス>、そしてエリア<nagoya>である。自治体の文化活動の経済的困窮が伝えられる昨今、こうした一貫したコンセプトを堅持した創造活動には注目すべきものがある。
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この文化複合施設の開館10周年を記した「あいち芸術文化フェスタ2002」の一環として行われた、H・アール・カオスによるオーケストラ演奏と合唱付き『カルミナ・ブラーナ』は、大島早紀子の演出・振付、カール・オルフの音楽とアリアの詩的世界が感動的であった。オルフは、身体と音楽を結合する新しい試みを行った作曲家で、彼にはプリミティヴィスムへの憧憬があったと指摘されている。『カルミナ・ブラーナ』は舞台上演用の世俗カンタータとして作られ、25曲のソロや合唱、器楽演奏によって構成された音楽である。
大島は、このポリフォニックなカンタータに呼応するように、白河直子と6人の女性ダンサーによる切れ味鋭いダンスと、光のシンフォニーとも言うべき多彩な照明、奥行きのある舞台空間のデザインを構成・演出して舞台を創った。もともと大島は、宙吊りのダンスを用いたり『垂直の夢』では地下に深く下降していくイメージをみせるなど、舞台の天空を使う演出が巧みである。今回の新作ではそうした高低に加えて、舞台の背景に巨大な光源を配して宇宙の原初を想起させたり、多次元的な祭壇のごとき空間を作ってダンスを踊らせたり、多層な空間感覚で構成するプリミティヴィスムと呼びたいようなイメージを浮かび上がらせた。これは99年に行われたオーケストラ演奏によるストラヴィンスキー作曲の『春の祭典』の経験を、さらに進化させた成果である。
関口紘一(舞踊評論家)
Photo : Tatsuo Nanbu
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