ブラックシアター狂言を振り返って

 昨年から今年に懸けて、世間では"世紀末"だの"新世紀"だのと騒がれ、劇場や地方自治体、各種団体やイベント業者が様々な企画を講じられるお蔭で、我々のような日本の伝統文化に関わる者までもが、西洋文化の恩恵を蒙らさせて戴いております。
 そういった世紀末関連の公演の一つに、昨年11月16日から18日に愛知芸術文化センター小ホールで催された「ブラックシアター狂言」があり、有難いことに、私はその企画・プロデュースをさせて戴く機会を得ました。

 近年、日本伝統音楽(芸能)が見直され、能狂言や歌舞伎をはじめとして「純邦楽」と呼ばれるものが、全国各地のマスコミ等でも取り上げられ、更にそれが発展して教育現場でも取り入れられる事となり、一種のブームのような勢いですが、この東海地方も御多分にもれず、東西から名手や人気の役者・演奏家がやってきて、手を替え品を替えて公演をうっている為、企画を練る者は頭を抱え、移ろい易い一般客層の需要に応えるべく、市場調査にも余念がありません。

 今回の公演にあたって提示された"世紀末"というテーマに基づき、主催者である愛知県文化振興事業団の方と色々と協議をし、「昨今の物騒な世相」と「新世紀への橋渡し」という事を念頭に入れ、これらを反映した演目を二つ、選曲させて戴きました。

 一つは、戦国時代の"下剋上"を背景にした大作「武悪(ぶあく)」。これは、ブラックシアターという空間="素"というものを最大限活かし、狂言特有の「素の技術」或いは「技術の素」との共存を試みました。そして、その成果を挙げる為の絶対条件として、人気もさる事ながら、舞台上の役者同志の和の形成に加え、観客までもその一曲の中に取り込んでしまう奇才、人間国宝・茂山千作師の来演は不可欠でありましたが、三日間四公演全てに御出演の御快諾を賜り、しかも所演史上初と思われる「日替り諸役完演」という無茶なお願いまでお受け戴けた時点で、『小三郎の個人的趣向の企画に成りそうだ』と少々反省もしておりました。

 結果といたしましては、京都三重鎮によるものや、親子三代での競演など変化をつけた事も幸いし、お客様からも大多数の支持を受け、手前味噌ながら大成功であったと自負いたしております。
 またもう一つの「博奕十王(ばくちじゅうおう)」は、荒唐無稽なストーリーながら狂言らしさが充満した、地獄絵図を立体化した曲ですが、古典の名作「武悪(ぶあく)」に対峙した作品にするべく、本来の六義(りくぎ、台本のこと)の細部に亘って考証に考証を重ね、初めて狂言をご覧になる方にも、通の方にも無理なく楽しんで戴けるように台本補綴をし、オリジナル初演という形で書き下ろした、"新作に近い改作"として演出・主演をさせて戴きました。

 しかし、こういった新しい手法を取り入れたり作り直すこと自体、まだまだ閉鎖的なところもある能狂言の世界のこと、楽屋側でも客席側でも賛否両論出るのは百も承知で、どちらの御意見も真摯に受けとめ、先人が築きあげてきた大きなものを次世代へ、更にその先へどのように伝え残していくかを、改めて考え直させられる良い機会だったと思っています。その意味では、核家族化そして人間の個人化が進む中で、一曲を構成する諸役に十代から七十代までの各世代の者を配して上演出来た事は、大変意義深い事であり、また価値ある事だったのではないでしょうか。

 今後もこのような機を有効に利用し、狂言の更なる普及・発展、また自己の研鑚にも役立てていきたいと考えておりますので、皆様の御支援の程を宜敷お願い申しあげます。

和泉流狂言方
四世 野村 小三郎

2000年11月16日(木)−18日(土)
愛知県芸術劇場小ホール
(愛知芸術文化センター地下1階)

出演
●「武悪」
茂山千作
茂山千之丞
茂山忠三郎
茂山千五郎
大蔵彌太郎 他
●改作「博奕十王」
野村又三郎
野村小三郎 他

写真:安井豊彦