20世紀を代表する音楽家ストラヴィンスキー作曲の『春の祭典』。この作品がディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)によって上演されたバレエ作品として生まれたことは、意外と知られていないようです。しかし1913年の初演時、このニジンスキーによる振付けは7回行われたのみでした。それ以降「春の祭典」は音楽だけで演奏されることが多くなり、また、多くの著名な振付家が独自の解釈でもって、様々な振付けを行っていきました。なお、ニジンスキーによる振付けは、画家グロスの記録などをもとに、1987年ミリセント・ホドソンとジョフリー・バレエ団によって復元されました。
4月の展示に始まり、5月の公演までの約1ヶ月に渡って行われた「特集:春の祭典」は、この作品がその後の芸術にもたらした意義と20世紀の身体について探求しようとしたものです。ニジンスキー版で用いられたオリジナルの衣装の展示や、さまざまな振付家による『春の祭典』の映像上映など、総合的に『春の祭典』を取り上げました。
なかでも、日本で初めてともいえる本格的なオーケストラとダンスの共演による『春の祭典』の公演は、初演の衝撃を彷彿とさせるもので、21世紀の幕開けを感じさせる劇的な空間が誕生しました。
●展 示「春の祭典〜その誕生から」
4月28日(水)〜 5月9日(日) アートスペースG
●トーク「春の祭典〜身体の復権」
5月9日(日) アートスペースA
[第1部]
上 映&トーク「春の祭典の誕生と振付に見られる身体性」
ゲスト:沼野充義(ロシア、東欧文学)、鈴木晶(舞踊史)
司 会:萩原朔美(エッセイスト)
上 映:『「春の祭典」の変遷』
[第2部]
トーク&デモンストレーション<H・アール・カオス版『春の祭典』より>
出 演:大島早紀子(演出・振付家)、白河直子(ダンサー)
●上映会「それぞれの春の祭典」
5月18日(火) アートスペースA
上映作品:『モーリス・ベジャール版「春の祭典」』
『ピナ・バウシュ版「春の祭典―リハーサル」』
『ニジンスキー復元版「春の祭典」のドキュメンタリー(ジョフリー・バレエ団)』
『「春の祭典」の変遷』
●公 演
5月28日(金) 愛知県芸術劇場大ホール
構成・演出・振付:大島早紀子
出 演:H・アール・カオス
(白河直子、平山素子、勝倉寧子、菊池久美子、木下菜津子)
指 揮:大友直人
オーケストラ:名古屋フィルハーモニー交響楽団
トーク「春の祭典〜身体の復権」より
沼野充義
『春の祭典』の誕生には、ニコライ・レーリッヒという美術家が深く関与しています。当時ロシアは、周辺の非ロシア民族の文化を取り込みながら高度な芸術・文化を爛熟させていました。そして西洋に先駆けて西洋文化の限界に気づき危機感をもっていました。新しい可能性はどこに求められるのか、それを中世的なもの、近代的な精神に毒される以前の原初的な力に見出そうという動きがあったのです。一方、ロシアには、スカンジナビアのノルマン人がロシア人に請われて国を統治したのが始まりだという建国伝説があります。スカンジナビア系の苗字をもつレーリッヒは、そのため当時の文化情勢だけでなく個人的にもロシアの古い土俗的な文化に非常に興味をもっていました。彼は絵を描くかたわら、考古学の研究などに従事し、スラブの中世に関しては権威となります。ですから、ディアギレフがロシアの中世的なものを扱うなら、まずレーリッヒに相談しなきゃと考えるのは、ごく自然の成り行きだったわけですね。後半生彼は、バレエ・リュスから離れ東方探検の旅に出てしまうのですが、『春の祭典』の誕生にこういう人や時代背景があったことは大変興味深いです。
鈴木晶
19世紀クラシックバレエでは、跳んだり跳ねたり難しい技巧が芸術性も高いという美学が出来上がり、難しい技が沢山登場します。そこには身体は技を行うための道具という身体観があります。10年後に、すでにこのバレエに対しての反発が出てきます。フォーキンというロシアの振付家がディアギレフに出会うことによってバレエ・リュスができ、バレエの歴史は大きく変わりました。スターダンサーのニジンスキーが振付けた3つ目の作品が『春の祭典』です。(『春の祭典』(下写真)と「バレエ」のスライドを指し)バレエでは『春の祭典』のように足を内股にすることは考えられません。足をぴんと伸ばし、エネルギーは外に外に行くのに対して、『春の祭典』の身体は内に内にと向かっています。またバレエでの姿勢は垂直でなければいけないのに、『春の祭典』では頭を曲げています。つまり『春の祭典』は19世紀のバレエの伝統を壊す形になっているのです。以来ベジャール、ピナ・バウシュ、グラハムといった多くの振付家がこの曲に振付けました。中でもニジンスキーのオリジナル版は、複雑なストラヴィンスキーの曲の構造に、その音楽以上に複雑な身体のリズムを聞き取って表現しようとしたところが独特だったわけです。
公演後のトークより
大友直人
『春の祭典』をオーケストラ・ピットに入ってダンスと一緒に演奏するのは、私も名古屋フィルの皆さんも初めての経験でした。狭いピット内では、ステージ上とは違った並び方のため、アンサンブル上かなり違った響きがします。聞こえ方もずいぶん異なります。しかし、その狭い所に凝縮された音の固まり、カオスは、得も言われぬ面白い響きで大変興味深かったです。そしてステージで行われているパフォーマンスと共同で行っているという面白さ。例えばオペラの場合、ステージ上の歌手や合唱の方と音を通して物理的に同じ音楽を創っているという関係があるのですが、ダンスとの場合、そういう繋がりはない。そのかわり直感的というか、感覚的なエネルギーを強く感じました。この曲は元来こういうふうに舞台とピットで上演するために創られた作品なのだと、興奮と喜びを持って感じることができたのです。この曲の劇場作品としての魅力を再認識しました。
大島早紀子
オーケストラの演奏で作品を上演したのは初めてで、まず生の迫力に圧倒されました。大友さんの指揮、例えばフッと腕を振って止める動きなどから、ダンスの呼吸を感じました。大友さんが生み出される音楽、そのエネルギーの振幅はとてもダンスと似ています。ダンスでも大切なのは、振りの中でのエネルギーの流れやうねり、そして空間でそれをどういうふうに拡張していくかという感受性と計算です。名古屋に入ってから、大友さんがオーケストラの方々をまとめていって音楽が豊かに膨らんでいく様子を目の当たりにしたのですが、そこでも大きな刺激を受けることが出来ました。例えば、音がフッと止まるその止まり方は、それまでの波によって違うわけです。踊り手はそれを感じ身体もそうやって使わなければいけないので、非常に難しいのですが、まさに生きた音楽を空間と身体で感じることができ、この上なくいい経験をさせていただきました。音楽とダンスがお互いに共振できる場が創れたかなと思います。
1. ストラヴィンスキー(左)とニジンスキー(右)
2.セルジュ・ディアギレフのポートレートの切り抜き(サイン入り)
ニジンスキー版『春の祭典』再現のためのスケッチ
ミリセント・ホドソン 画・蔵
3. 「生贄の処女」
4. 7人の「乙女」の中の1人と5人の「若者」の中の1人
ニジンスキー版『春の祭典』オリジナル衣装
(写真提供 : 読売新聞中部本社)
公演後のトーク(右より大友直人、大島早紀子、白河直子、萩原朔美)
ニジンスキー版『春の祭典』より 祭典に加わる人々
「春の祭典〜その誕生から」展示風景
5. グロス画
6. ニコライ・レーリッヒ
7. レーリッヒによる衣装デザイン画
8. ニジンスキー版『春の祭典』より祭典に加わる少女達
9.「コメディア・イリュストレ」誌制作バレエ・リュス公式プログラム合本
10. ピナ・バウシュ版『春の祭典』(撮影 : 飯島篤)
トーク「春の祭典〜身体の復権」第2部 トーク&デモンストレーションより 大島早紀子(右)、白河直子(手前)
【採録・構成:E.K., A.F.】
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