1998年のケージ
ジョン・ケージの音楽は、現代音楽のなかでも特に区別して「実験音楽」と言われる。それは、1959年彼が「実験とは結果が予測できないことである」と定義し、1992年に没するまで数々の実験を重ねたことに因る。木や金属を弦の間に挟んでピアノの音を異化したプリペアド・ピアノの発明、不確定性と偶然性の採用、騒音から沈黙まであらゆる音の使用……。それまでの西洋音楽とはあまりにも異なったケージの音楽は、1950年代から60年代、演奏の度に聴衆を困惑させ、賞賛と怒りの両方を得ることになった。
それから半世紀近くを経た1998年1月、彼の活動を版画展やビデオ上映、ワークショップも含めて振り返る「ジョン・ケージ特集」が愛知芸術文化センターで開催された。2夜にわたってケージの初期から晩年に至る作品が演奏されたが、そこに初演当時のような奇抜さはもはや聴かれなかった。
ケージの音楽はそういうものだと皆が知ってしまったからだ。同時に、音楽の可能性が彼によって大きく広げられた結果、どんな音にも演奏にも、私たちは慣れてしまったからだ。
しかし、だからといって古さは全くなかった。音楽は緊張感に溢れていた。演奏の度に新しい発見があり、年月を経て繰り返し演奏される音楽を古典というなら、ケージに「現代音楽の古典」という言葉が相応しくなったことがはっきりと感じられた公演だった。
第1回コンサートで、ピアノ、おもちゃのピアノ、プリペアド・ピアノと多彩なピアノ曲を演奏した松永加也子の音は、ひとことで言うと軽やかでかわいらしい。そのくせ熱い情感が込められていた。とりわけ西澤幸彦と共演した「TWO」では、ピアノとフルートが同じ舞台上にいながら独立し、といって互いに無視するのではなく、神経を張りつめて呼吸するように音が奏される。ケージは常々、演奏者に表現に対する自我を越えることを求めていたが、その点で非常にケージらしい音楽だった。地元で活躍するアンサンブル・トゥデイも、初期の拍数の取りにくい難曲を息のあった演奏で聴かせてくれた。
第2回コンサートでは、ケージと直接交流も深かった小杉武久を中心に、若手音楽家らが加わり、それぞれ趣向を凝らしたパフォーマンスを行った。演奏された作品はどれも、楽譜ではパフォーマンスの方法や演奏の長さを決定することに止められている。それに従った上でいかに演奏する(させられる)のかは、パフォーマーに委ねられる。巻き貝に水を入れ揺らして音を出す「インレッツ」では、大きさの異なる貝を両手で抱かえたニシジマアツシ、村井啓哲、森本誠士が、引き込まれるように貝を見つめながら微妙に手を傾ける。コントロール不可能でいつ鳴るかわからない音に、会場の全員の耳が集中した。ホールの外での演奏を、開いた扉の内側から聴く「ヴァリエーションズIV」では、高木元輝のサックスが、真っ暗なホールに残された聞き手と、ホールの外側で演奏を行う他のパフォーマーの両方を引きつける引力を持っていた。小杉武久が名古屋周辺の地名を音響的変化を加えながら読み上げてゆく「湖での一浴び」。それと同時演奏された「ONE7」で、ヤマタカアイはキッチュな音の出るおもちゃをたっぷり持ち込み、次々と取り替えながら演奏を行った。彼の音の選択は絶妙としか言いようない。最後の、全員でオープンリール・テープを次々とかけてゆく「ローツァルト・ミックス」では、混沌と自由とが会場に溢れていた。
【A.F.】
写真/南部辰雄
|