イベントークPartVI

「土方巽を幻視する」舞踏公演より

 舞踏の創始者、土方巽の未亡人・元藤火華子と大野一雄の共演が30数年ぶりに実現した。いずれも日本人の身体観に深く根付いた舞踊を開花させた天才たちである。

 モダン・ダンスから出発した土方は、舞台に現れる度に豹変し、舞踊のスタイルを大きく変えた作品を見せた。自らの舞踊を「暗黒舞踏」と呼ぶに至ってからも、破壊者として、さらに新しい地平を切り開こうと常に自問していたという。一方、女学校の体育教師であった大野は、『ラ・アルヘンチーナ頌』で自己の踊りのスタイルを確立したともいえるが、舞踏に対する姿勢は終始一貫しており、全ての作品は「母」「胎内」等という生命の根源的なテーマに帰結するかのような作風を見せている。元藤によると同胞でもありライバルでもあった2人は、互いから多くの影響を受け、身体と挌闘していたというが、その方法論はかなり異なっていたようだ。

 「舞踏」と名のつく公演が、日本に限らず世界各国で頻繁に行われるようになって、「舞踏」はBUTOHとそのまま欧米としても通用するようになった。しかし近年、裸体、白塗り、坊主等々、舞踏の性質の表面的な部分だけを模倣して、「舞踏家」を名乗っているダンサーが多い。創始者土方の精神を受け継ぐダンサーがなかなか現れないことを病んだ元藤は一念発起、一度下りた舞台に再度上がることを決意した。「土方の精神を守りたい…。」そんな元藤がバレエのレッスンを日課にしているのも、土方と同様である。

 土方と共に壮絶な舞踏人生を歩いてきた彼らの舞台、中でも元藤と91歳の大野の決して若くはない2人のデュエットは、さらに力強く、その光背には土方の身体が浮かび上がって見えるようであった。

 それものちに納得、元藤が帰りがけにそっと教えてくれた。「ひじかた、ひじかた、聞こえますか、見てますかって、大野さんと呼びかけながら踊っていたのよ」。

 そこには幾つになっても今だ果敢に前進し続ける真の舞踏家たちの立ち姿があった。

【E.K.】

表紙:『鎌鼬』#8 

 写真/細江英公

 

裏表紙写真:『鏡のテオーリア』より 

       左:元藤火華子、右:大野一雄

 写真/池上直哉