ジャン・ルノワールと前衛映画の関係に焦点を当てたテーマ上映会「ジャン・ルノワールと前衛映画の時代」が開催された〈6月26日(木)〜7月6日(日)〉。上映と連動した二つの講演会では、ルノワールが晩年に手掛けた小説や、アヴァンギャルドから見たルノワールという、新鮮な視点からレクチャーが行われた。

 

「ジャン・ルノワールの小説世界」

野崎 歓 (一橋大学大学院助教授)講演より 

■ルノワールの映画と小説

あの可憐な映画第一作『水の娘』(24)の中に、既に、差異や境界を平然と跨ぎ越してゆくジャン・ルノワールのアナーキーな部分が含まれていると思うんですけれども、それから約40年後の小説第一作『ジョルジュ大尉の手帳』(66)が、これとほとんど同じテーマを扱っている。そのこと自体、非常に感動的だと思うんです。『ジョルジュ大尉の手帳』では、大金持ちの御曹司が軍隊生活で一人の娼婦と出会い、電撃的な恋愛に陥り、結婚する。そうなったら、普通はてんやわんやの大騒ぎになりますよね。ところがなぜかこのジョルジュ青年の家では、お父さんもお母さんもちょっと驚くだけで、その女の子と仲良く暮らしちゃうんです。それは、ジプシーの少女とお金持ちの息子が結婚する『水の娘』そのものです。そういう境を越える、社会的なバリアをことごとくふっ飛ばしてゆくような運動が、激しい破壊的な行為によってではなく、官能的な、優しい愛の行為によって行われることの素晴らしさが描かれている。

■小説は映画を超えたか?

死ぬ当日まで小説を書き続けたルノワールが、映画にはないものをつけ加えているかどうかを考えてみると、大きく言って二つの独自性があると思う。一つは悲劇的な部分ということです。映画にはついぞ描かれ得なかった純粋な悲劇というものが長編小説『ジョルジュ大尉の手帳』の後半になって描かれていきます。ジャン・ルノワールの映画は悲劇が喜劇になってしまうところが面白いわけなんですけれど、『ジョルジュ大尉の手帳』の後半はほんとに読んでいて号泣してしまうようなドラマになっていくんです。興味のある方は是非ご一読下さい。これは彼の映画作品には全くなかった点だと思うんです。ここに描かれているのは19世紀から20世紀初頭の物語です。現代ではすべてが失われてしまっているという時間の感覚、これがまた映画にはほとんどない。小説において浮上してくる過去の意識、これがある悲劇的な次元を加えていると、一つには考えられます。時間意識と書く行為は切り放せないものとしてあるんじゃないかということなんですね。ただ、その場合もルノワールは、過去は全部過ぎてしまったけれど、しかしそこに現在と過去というはっきりとした断絶を作るというということでなくて、密かな形で過去と結びつくやり方を提唱するわけなんですね。それがこの小説の感動的な結末になっています。

■悲劇と悪を描いた晩年

それから、もう一つは悲劇が生じる時に"悪"という問題が出てくる。愛と官能に浸された世界というものが続かないのはその中に悪の要素が混じり込んでくるからなんです。この悪をルノワールは最後の小説で徹底的に描く。これも、彼の映画の中では本当にとんでもなく悪い人間というのは出てこないので、小説で加えられた次元かなと思います。それが端的に分かるのは最晩年の84歳で書いた『イギリス人の犯罪』(79)と、死ぬ三日前に書き上げた『ジュヌヴィエーヴ』(79)という小説です。『イギリス人の犯罪』は地方のあるお金持ちの家の主人から下働きの女中さんたちまで全員を、ある一夜殺害した男の物語なんですね。冒頭からあたりは一面血の海、そういうショッキングな描写から始まります。こういう表現はジャン・ルノワールの映画には一本もない。人は割とあっさり、コロリと死ぬんですけれども、ほとんどルノワールの映画は血が流れないんです。『イギリス人の犯罪』はこの点だけでも、映画をある意味で超える部分が出てきたものだと思います。その次の死ぬ直前まで書いてた『ジュヌヴィエーヴ』は車椅子に乗った少女の恋愛の話です。これもとてもきれい事で終わらない悲劇になってるんですね。生まれながらの非常に苦しいハンディキャップを負った少女が恋愛をした時に一体どういう体験が待っているかという、そこにはものすごく辛い部分があるんですが、そういう小説を描く。もちろん自分が晩年ずっと車椅子に乗らざるを得なかったということとおそらく重なってると思うんですけれども、その中でも恐るべき否定性、破壊性という問題が浮上してくる。おそらくそれがルノワールの最後の境地だったと思うんですね。これまで描いてきた喜びといい人達にあふれた世界に、最後、強烈な悪や破壊衝動まで書き足すことによってジャン・ルノワールの世界は完結したのかなと僕は思います。

  

「ジャン・ルノワールとアヴァンギャルド映画」

村山 匡一郎(映画研究家) 講演より 

■ルノワールが見たアヴァンギャルド

ジャン・ルノワールの初期作品、とりわけ夢とかファンタジーを扱った『水の娘』(24)、『チャールストン』(27)、『マッチ売りの少女』(28)は、アヴァンギャルド映画として見られていました。今でもこの三本はアヴァンギャルド映画として映画史の中に位置づけられることが多いようです。では、ルノワールはアヴァンギャルド映画をどう見ていたのか、ということになると、彼はあまり触れていません。その数少ないひとつとして、1936年5月のある新聞で次のように述べています(註1)。「こうしたカテゴリーの映画(=アヴァンギャルド映画)のすべては傑作とはいえなかった。なんという愚かさであり、思い上がりであることか」と。また「アヴァンギャルドとなることが問題ではなくて、心の底から湧き出てくるものを何も撮れないことの方が問題なんだ」ということも言っています。彼が唯一褒めているのはルネ・クレールの『幕間』(24)だけです。アヴァンギャルド映画に対して否定的なわけですが、ただ、こうした文章を書く以上、結構アヴァンギャルド映画を見てたわけですね。また、同じ文章の中で「映画監督はブルジョワの息子だ。映画は大衆から遠ざかっている人々によって作られている」とも言っています。

■アヴァンギャルドとの接点

この文章が書かれたのは、『人生はわれらのもの』(36)を撮った後、『ピクニック』(36)を撮る前、つまり、人民戦線の只中です。当時の政治的な高揚もあったと思うので、半分差し引いて読んだとしても、ルノワールは本質的に、アヴァンギャルドそのものが問題ではなくて、自分が撮りたいものを撮るという人のように思われます。ルノワールはもともと映画ファンとして育ってきてますから、映画そのものが彼の出自といえます。ただ、彼が熱狂して見てきた映画、たとえばチャップリンとかパール・ホワイトとかは、当時のアヴァンギャルド芸術に熱中していた詩人とか画家たちが好んで見ていたのと同じものなんですね。またルノワールはよく、「日常生活を違ったふうに見る」と言っています(註2)。このことをずらして言えば、シュルレアリストたちが言っていることと同じなんですね。ジャン・ルノワールはその意味で、当時のアヴァンギャルド映画(あるいは芸術)に熱中した人たちと同じような嗜好とポリシーを抱いていたといえるでしょう。

■テクニックと「無償の美」

また、ジャン・ルノワールの技術ないしその成果としてのテクニックへの関心に対して、彼の友人で『ピクニック』にも出演している作家のジャック・ブリュニウスは、ルネ・クレールとルノワールを評価しながら、次のように述べています(註3)。「テクニックにおいてこの二人だけが、いわゆる無償の美と、それを主題に役立たせるものとをちゃんと区別することができた」と。商業映画の中では普通、技術やテクニックは主題や物語に奉仕する形で使っていくわけですが、アヴァンギャルド映画ではテクニックだけが目を引くことがしばしばあります。クレールもルノワールも、最初は視覚的イメージへののめりこみから「無償の美」のためのテクニックに傾いていました。それはそれで面白いのですが、やがてそこから抜け出すことになったというわけです。ブリュニウスによれば、そこが二人の映画とほかのアヴァンギャルド映画を分けるところになります。

■最初の映画作家

ジャン・ルノワールという人の若い時代を眺めると、やはり父親のオーギュストの血を受け継いだ芸術家という視点がどうしても前面に出てくるように思います。その中で、たまたま映画を愛して、その面白さにのめりこんでしまった。映画で何か新しいイメージを作ろうとしながら、その一方では物語にしだいに自覚的になっていくわけです。その意味では、狭義の意味でのアヴァンギャルド映画が物語をすべて排除していくのとは違っています。ただ技術的には、当時の技術はそんなに複雑ではないため、狭義のアヴァンギャルド映画がやっていることと重なる部分が多いわけですね。そのため、そうしたテクニックを使った新しい試みを見ると、アヴァンギャルド的なものだ、というふうに見られてしまう傾向はある。けれども、ルノワールという人はもともと、自分の心から湧き出てくるものを映画に撮りたい、とずっと考えてきたのではないか。その意味では最初の映画作家、つまり初めから作家性を持って映画を作っていたように思われます。そうしたことが、時代や世代を超えて、ヌーヴェル・ヴァーグの人たちに影響を与え、また今日でも高い評価を得ているのではないでしょうか。

註1 「フォトジェニックな黄金の子牛」(「ラ・フレッシュ・ドゥ・パリ」紙、1936年5月30日)。ジャン・ルノワール「エクリ(1926-1971)」(ラフォン、1974年)に収録。なお「ラ・フレッシュ・ドゥ・パリ」紙は、当時の政治集団「社会戦線」の機関紙。

註2 たとえば「ジャン・ルノワール自伝」(みすず書房、1977年)の「映画作法を求めて」など。

註3 ジャック・B・ブリュニウス「フランス映画の余白に」(ラージュ・ドム、1987年)。

【採録・構成 : T. E.】 

 

ルネ・クレール『幕間』 1924年

ジャン・ルノワール『水の娘』 1924年

ジャン・ルノワール著 『 ジョルジュ大尉の手帳』 青土社刊(アートライブラリー蔵)

ジャン・ルノワール『チャールストン』 1927年

ジャン・ルノワール『マッチ売りの少女』 1928年