「遅れてきた印象派」と「隠れた革命家」

…ボナール(1867-1947)の相反するふたつのイメージ

 「ピエール・ボナールは偉大な画家であろうか?」という挑発的なエッセイが、1月23日にボナールが没した1947年の末、『カイエ・ダール』誌に掲載されました(1)。著者は、ピカソの油彩作品総目録の著者として高名で、同誌を主宰したクリスチャン・ゼルヴォスです。

 これに対し、ボナールの友人であり、彼の芸術の最も良き理解者のひとりであったマティスは、自分の雑誌の該当頁の上に、憤怒と心痛の余り「然り。わたしはピエール・ボナールが今日でも、そして確実に未来まで偉大な画家であることを証明する。アンリ・マティス。1948年1月。」と書きつけました。また、ボナールについての最初の単行本を1919年に上梓したレオン・ウェルトも同年秋、「ボナールはキュビスムの画家でもなく、シュルレアリスムの画家でもなかったことを悔いたであろうか」というエッセイを書いています(2)。

 確かにボナールの絵は一見分かりやすく、何もわれわれに問いかけるものはないように見えます。けれども、しばしば言われるようにボナールは単なる遅れてきた印象派の画家なのでしょうか。

 さて、ゼルヴォスの小論は、ボナールの没した年の10月から11月までパリのオランジェリー美術館で開催されたボナールの回顧展の感想を率直につづったものです。この展覧会は油彩画100点を中心とする大規模なもので、彼の代表作が数多く含まれていました。彼の批判はいささか観念的なもので、フォーヴィスム、キュビスム、抽象絵画、ダダイスム、シュルレアリスムといった美術の前衛的な運動への寄与をボナールが欠き、それらに十分な顧慮を欠いているというのでした。したがって、マティスが切り拓いた道が、キュビスムの天才と混じりあいながら、新たに始まった絵画の動きの中で王道となったのに、活力がなく、ほとんど独自性のないボナールは、印象派を発展させてその血を新しい言語に注ぎ込んだり、印象派のしたことをやり直したり、あるいは止むをえず、それらを一新してしまうこともできなかったし、ほんの小さな幸せに心を寄せて、印象派の戦利品を自分のものにして楽しみつつ、芸術の世界で起きたことには注意を向けないで、ほどほどの独自性を求めながら長い辛い時期を経たボナールは、芸術思想の流れにいささかの動揺も刷新ももたらすすべを知らなかった、ということになるのです。

 同じ批判でも、ボナール嫌いで有名なピカソのものは、若千ニュアンスを異にしています。

―――「ボナールの話はやめてくれ。あれは絵画じゃない、かれがやっていることは。かれは自身の感覚から抜け出さない。選び方を知らないのだ。ボナールが空を描く場合、かれはおそらくまず青くする。少なくとも、空はそう見えるからね。それからしばらく見つめていると、その中にモーヴ色が見えてくる。そこでかれはモーヴ色を一筆か二筆、ただ垣を作るように加える。それからこんどは、また桃色もあると考え、そうなると桃色もどうしても加えたくなる。結果は不決断の寄せ集めだ。もっと長く見ていたら、かれは空が実際どうあるべきかなどと決定することはせずに、黄色も少し加えることになるだろう。絵画はそんな風にして作られるわけがない。絵画は感覚の問題ではない。自然が知識や良い忠告を与えてくれるのを期待するのではなく、自然から譲りうけて、力を掴みとることが問題だ。だからわしは、マティスが好きだ。(後略)」――(F.ジロー/C.レイク『ピカソとの生活』(瀬木慎一訳)新潮社、1965年刊、236頁)

 その判断はともかく、彼の観察は優れた芸術家らしく鋭く、しかも愛憎相半ばしているように見えます。

―――「もう一つわしがボナールを嫌うのは、連続的な平面にするために、画面全体を少しずつ、一ミリ四方くらいのかすかな震えのようなもので、しかも全体的にコントラストは出さずに、満たしてしまうあのやり方だ。黒と白、四角と円、鋭い点と曲線などの並置はどこにもない。有機的な全体のように作りあげられた極度にオーケストラのような表面だが、あの強いコントラストが作る、シンバルのじゃんじゃん鳴る大きな音は、一つも聞こえてこない。」―――(同上書237頁)

 ボナールの絵画の魅力と豊かさを前にしてこのようなある種の戸惑いは、おそらく受取り手の側が適切な視点と批評の言葉をもちあわせなかったことに理由があります。意識的にせよ無意識的にせよ、ボナールがよりどころとしていた場所を見つけるにはかなりの時間を必要としました。そのために一視点を提出した人物に、フランスの美術評論家ジャン・クレールがいます。

 彼のエッセイ「視神経の冒険」(1984)によれば(3)、ボナールは、画布の上に、リアルで心理的生理的な、すなわち、純粋にフォーマルな、あらゆる意味以前の、文化的なハビトゥス(社会化を通じて体質化された知覚、発想、行為)に限定され矯正される以前の視像がもたらすもの、眼球が無意識に何かを探す運動、眼球の筋肉がわれわれに伝える奥行きの感覚、こうした瞬間的な知覚を新旧の記憶が修正したものを画布に移そうとした最初の画家です。すなわち、ボナールは、まず人間が両目で、しかも眼球が動く限りの視野で自然に覆われる視覚にまで画布を広げ、それと平行して、周辺に中央と同じだけの重要性を与えて視野を統一しつつ、色の領域を両極端まで広げ、一方で紫を、もう一方でオレンジ色や黄色を、あたかも可視スペクトルを押しやるがごとく統合し、さらに彩られた領域を統一するための、明度と色調を等価なものとすることによって目の前にきらびやかに輝く織物を提示したのでした。

 いわばボナールは、赤ん坊や幼児の眼差しに次々に飛び込んでくる世界が与えるありのままの純粋な視覚の驚きと喜びを描き出したのです。モネの晩年の仕事に多くを負うこうしたボナールの仕事は、戦後のサム・フランシスやモーリス・ルイスの絵画(ぜひ当館所蔵作品展でご覧下さい)、さらにはデイヴィッド・ホックニーのフォトコラージュなどにも一脈通じています。

 純粋な感覚の喜悦に満たされた希有の時を記憶の中から再生しようとしたボナール。そのために形や色は驚くほど巧みに調整されています。この展覧会で、そうしたボナールの工夫をじっくり絵を眺めて味わっていただければと思います。 

 【H.K.】 

 
(1) Ch.Zervos, "Pierre Bonnard est-il un grand peintre?", Cahiers d' Art, 22(1947), pp.1-6.

(2) L.Werth, "Propos de peintre. Bonnard regretta-t-il de n' avoir ete ni cubiste ni surrealiste?", Arts, 17, September (1948), pp. 1 & 4.

(3) J.Clair, "Les aventures du nerf optique", Bonnard(Exh.cat.), Centre Georges Pompidou, Musee national d' art moderne, 1984, pp, 17-37.