―歴史への考慮と創造―

 
昨年,1995年は映画生誕100年を数える記念すべき節目の年であった。各国で競い合うようにこれを祝う企画,行事が行われたことは記憶に新しい。そのような中で、映画の歴史に言及しつつ,独自の視点からそれを再構築してゆく映像作品が少なからず登場したことは注目していいだろう。映画の発明者リュミエール兄弟の作品群を哲学的なアプローチによって再構成したアンドレ・S・ラバルトの『リュミエール』(95)や、“労働者”という社会学的キーワードから映画史を読み直していったハルン・ハロッキの『労働者は工場を去っていく』(95)など、比較的オーソドックスな作品にも、少なからずこうした傾向を認めることはできよう。

さらにより俯瞰的な視点に立てば,1995年を前後とする,映画史・映画的記憶の解体/再構築ともいうべき作品の存在を目にすることができる。例えば,クリス・マイケルの『アレクサンドルの墓』(93)は、1900年に生まれ動乱の20世紀を生きたロシアの映画監督アレクサンドル・メドヴェトキンを追悼した作品だが,同時にこれは20世紀のメディア史への考察ともなっていた。

また、ハンガリーのペーテル・フォルガーチが1990年から開始した「プライベート・ハンガリー」シリーズは、無名の市民が残した9.5ミリや8ミリなどのホーム・ムービーを社会学的な視点から読み直し,20世紀前半のブタペストの市民の生活と歴史を独特に,かつ鮮やかに描き出している。

こうした試みの象徴となる作品は,なんといってもジャン=リュック・ゴダール監督の連作『ゴダールの映画史』(89〜 )であるが、ここでは過去の様々な映像素材を縦横に引用しつつ、あたかもそれらをコラージュするかのように再構成し,映画を成り立たしめる基本的な方法論であるモンタージュ(=編集)を根底から問い直すかのようだ。

さらに、1987年から92年にかけ連作として作られた『私小説』シリーズを,今年1996年に新たな観点から再構成することを試みたかわなかのぶひろや、上映の度に編集と音楽を変えてゆく大木裕之の『優勝−Renaissance‐』(96)など、実験映画の文脈から“自作の解体と再構築”を意図して行う作品が登場したことなども,こうした動きと無縁ではないだろう。

この上映会は,近年のこのような動向から“映画の歴史への考察と新たな創造”というべき主題を透視する試みである。
70年代以降の映画監督J=L.ゴダールのもう一つの重要な仕事であるビデオ作品群を軸に構成した本特集では、映画・歴史への再検討という視点から、いかなる創造へのアプローチがなされてきたかを見ることができるだろう。

【T.E.】 

【作家と上映作品】 Artists and Films

ジャン=リュック・ゴダール Jean-Luc Godard [フランス France]

『6×2』“six fois Deux” 〈2シリーズ、各6プログラム〉(1976)100分×6(計600分)VTR

『ふたりの子供フランス漫遊記』“France Tour Detour Deux Enfants”〈12シリーズ〉(1978)26分×12本(計312分)VTR

『映画「パッション」のシナリオ』 “Scenario du film Passion”(1982)54分VTR

『ソフト・アンド・ハード』 “Soft and Hard” (1986)48分11秒 VTR

『映画というささやかな商売の栄華と衰退』 “Grandeur et Decadance d'un Petit Commerce de Cinema” (1986)93分 VTR

『ゴダールの映画史』 “Histoire(s)du Cinema”(1989)
「第1章 すべての歴史」50分  「第2章 単独の歴史」42分(計92分)VTR

『新ドイツ零年』 “Allemagne Annee 90 Neuf Zero”(1991)62分 35o

クリス・マイケル Chris Marker [フランス France]

『アレクサンドルの墓』 “The Last Bolshevik”(1993)116分 VTR

アレクサンドル・メドヴェトキン Alexander Medvedkin [ソ連 USSR]

『幸福』 “Happiness”(1934)65分 35o 〈参考上映〉

アンドレ・S・ラバルト Andre S. Labarthe [フラス France]

『リュミエール』 “Lumiere”(1995) 52分 VTR

ハルン・ファロッキ Harun Farocki [ドイツ Germany]

『労働者は工場を去っていく』 “Arbeiter Verlassen die Fabrik”(1995)37分VTR

ペーテル・フォルガーチ Peter Forgacs [ハンガリー Hungary]

「プライベート・ハンガリー」シリーズ
『バルトシュー家』 “the Bartos-Family: The Father and His Three Sons”(1988)59分 VTR

『ディシとイエノ』 “Dusi and Jeno”(1989)43分 VTR

かわなか のぶひろ Kawanaka、 Nobuhiro 「日本 Japan」

『私小説』1〜6 “Shishosetu”1〜6(1987〜92)96分 16o

『私小説』 “Shishosetu”(1996)102分 16o

大木裕之 Oki, Hiroyuki [日本 Japan]

『優勝‐Renaissance-』(1996) “Yusho-Renaissance‐”
ライブ版、約60分 16o

* やむを得ない事情により変更する場合がありますので,あらかじめご了承下さい。

 

オリジナル映像 作品第5弾

キドラット・タヒミック監督

「ヒィリピンふんどし 日本の夏」 〈初公開〉

"Japanese Summers of A Filipino Fundoshi"

「身体」をコンセプトに様々なアプローチによる作品を生みだしてきた「オリジナル映像作品」のシリーズ最新作を初公開。監督は日記映画的な手法によるドキュメンタリーで知られるヒィリピンの映像作家キドラット・タヒミックが担当。タヒミック独自のアンチ・ハリウッド的な視点から,西洋と東洋の身体観の差異というテーマを,ヒィリピンの民族衣装バハグ(=ヒィリピンのふんどし)をキーワードに,過去何回かの日本訪問時に撮影された映像も用いつつ、ユーモアある思索的なアプローチにより描き出しています。

テーマ上映会「映像から見た20世紀」の最終日9月1日に上映,当日はヒィリピンより監督の来館予定です。

なお8月20日から9月1日の間、地下2階アートプラザ内ビデオルームでは、タヒミックの代表作により『悪夢の香り』(77)、『竹寺モナムール』(89)、『虹のアルバム―僕は恐れる黄色‘94』(81-94継続中)3作品のビデオ上映を行います。

● 作品データ 1996年作品,16o、39分、カラー,日本・ヒィリピン合作

 

 テーマ上映会 

「アートフィルム・フェスティバル」

11月1日(金)〜17日(日)開催予定

■ 会場/アートスペースA(12階)

コンテンポラリー・ダンスや実験的な音楽などパフォーマンスの記録映像や,実験映画,ビデオアート等の映像作品を愛知芸術文化センターのこれまでの活動から友好的な関係を結んだ施設・団体から入手,上映します。

この上映会は,日本では知られていないアーティストの紹介であるとともに,映像による芸術情報の交換プログラムであり,国際的なコラボレーション作品の制作を進めるに当たっての基礎的な情報となるものです。

現在,オーストラリアのヴィクトリアン・アーツ・センター等との間で,企画を進めています。