ディセーニョ「素描」 対 コローレ「色彩」 

 絵画作品にわれわれが接する場合に、「何が表されているか」だけではなく、「いかに表されているか」についての知識があれば、鑑賞はいっそう楽しいものになるのではないでしょうか。

 ルネサンスの画家たちのもっとも大きな関心のひとつは、どうしたら現実の世界をあるがままに再現できるかにありました。たとえば、ものがあたかも浮き出ているように表現する手段、あるいは奥行きが広がっているように描く手段が懸命に探求されたのです。今回は素描展ですが、少々見方を変えて彩色の仕方からそうした関心の移り変わりをたどり、さらには彩色法が素描の技法にどのような関わりをもっていたかについても考えてみましょう。

 最初に色の特性はどのように理解されるのかについて確認しておきます。

 まず最初に、赤、青、紫、黄緑といった色の名前に当たるのが「色相」です。一方、白と黒、およびそれらを混合して得られる色は無彩色と呼ばれます。

 また、色の鮮度や純度を区別する尺度は、「彩度」によって計られます。色の明暗を区別するのが「明度」で、白や黒を加えることによって明度が変わります。たとえば、黄色は明度が高い(明るい)ときに彩度が高く(鮮やか)、紫は明度が低いとき(暗い)ときに彩度が高いという具合に、ある色相のもつ特性が記述されるわけです。

 17世紀末から18世紀はじめのフランスで活躍した美術批評家にロジェ・ド・ピール(1635-1709)という人物がいました。彼の主著である『絵画の諸原理』(1708)には、53人の古今の著名画家について、当時もっとも格が高いとされていた「歴史画(物語画)」を構成する4つの要素―構図、素描、彩色、感情表現―に分けて作成された採点表が付されています。

 構図でもっとも点が高いのはグエルチーノとルーベンスで―それぞれ20点満点中18点―、ついでラファエッロ(17点)、ピエトロ・ダ・コルトーナ(16点)という具合で、レオナルド・ダ・ヴィンチは15点、ミケランジェロはわずか8点です。

 素描では、ラファエッロが18点でもっとも高く、次いでミケランジェロ、カラッチ一族、ニコラ・プッサンらが17点で、レオナルドには16点、ティツィアーノには15点が与えられています。そのほか著名な画家ではレンブラントが6点です。

 さらに彩色では、ジョルジョーネ、ティツィアーノが18点とトップで、レンブラントやルーベンス(それぞれ17点)を除けばヴェネツィア派の画家たちが高得点を与えられています。ところが、ラファエッロは12点で、レオナルド、ミケランジェロに至ってはなんと4点です。

 ちなみに、感情表現ではラファエッロが18点で、ルーベンスらが17点と続き、レオナルドは14点と比較的高く、一方ミケランジェロは8点、ティツィアーノは6点です。

 17世紀の後半のフランスでもっとも影響力をふるったのは、ルイ14世の首席画家シャルル・ル・ブランでした。彼の画風は、ド・ピールの採点(構図16/素描16/彩色8/感情表現16)が示すように、ラファエッロやとりわけプッサンを範とした、素描を重視するものでした。一方、ド・ピールは、ル・ブランに対抗し、彩色や明暗法をそれと同等に重視し、ティツィアーノをはじめとするヴェネツィア派の画家たちやルーベンスに大きな関心を向けました。採点表からも彼の関心の方向が明瞭にうかがえます。

 採点表のうち、もっともばらつきがあるのが彩色です。構図や素描、感情表現は、比較的巧拙の判定が容易ですが、彩色はそうではありません。実際点の低い画家も優れた色彩家である場合が少なくないのは、彩色が異なった方式でなされたからです。ド・ピールはヴェネツィア派の彩色法をもっとも優れたものとみなし、当時「素描派」と「色彩派」との間で論争が起きました。それでは、彩色法にはどのような方式があったのでしょうか。

 ルネサンスにはおよそ3つの彩色法がありました。そこには、伝統的な板に描かれるテンペラ画に適した方式から画布に描かれる油彩画に適した方式への移行と成熟が見られます。

 ひとつは、高い彩度と明度とを保って彩色する方法で、1390年頃に執筆されたチェンニーノ・チェンニーニの『絵画術の書』(報訳岩波書店)に詳しく説かれています。それによれば、画家はもっとも暗い影に当たる部分に彩度の高い色を置き、光の効果を表現するために徐々に白を加えて肉付けを施すのがよいとされています。こうした彩色法を好んで用いたのはミケランジェロで、《トンド・ドーニ(聖家族)》(挿図1)はその典型的なものです。この手法は、形態を彫刻的にとらえて表現する「素描」を重んじるポントルモをはじめとするマニエリスムの画家たちに受け継がれました。

 もうひとつに、15世紀の芸術理論家アルベルティが『絵画論』(1435)(邦訳中央公論美術出版)に記した手法があります。それは、純粋な色の明るい部分に白を加えるだけではなく、暗い部分に黒を加えることによって、明暗と、ものの立体感とを効果的に表現しようとするもので、より大きな真実味が生まれました。なお、彩度が高い色は明度が中間的な部分に保持されるとしています。

 レオナルド・ダ・ヴィンチはさらに異なる方法を考え、科学的な探求を試みました。彼はそれぞれの色に黒をはじめとする暗い色を混ぜて全体の明度を低くして、全体の明暗の調子を厳密に整えようとしたのです。彼のこうした手法はキアロスクーロ(明暗法)と呼ばれ、また、描かれたものの輪郭はスフマート(ぼかし)によって大気に溶け込むように描かれます(挿図2《岩窟の聖母》)。ただし、この技法では色彩の彩度は著しく犠牲になります。

 ラファエッロは、折衷的なアルベルティの手法をとりつつも、レオナルドの影響を強く受け、光の鮮やかなコントラストの作品を描いています(挿図3《キリストの変容》)。ここでも、彩度はかなりの部分犠牲になっていることは確かです。
 これまで、形態の明晰な把握と再現を重んじるフィレンツェ=ローマ派(中部イタリア)の芸術伝統における彩色法について簡単に触れました。

 一方、ヴェネツィア派に画家たちは、レオナルドの明暗法を受け継ぎつつ、彩度を犠牲にしないでいっそう油彩画に適した方式をむしろ経験的に編み出しました。まず画布に褐色の下地を施し、褐色を基調とする明暗の下塗りを経て、暗い色から徐々に明るい色が塗られました。ティツィアーノは、色を犠牲にすることなく、明暗の量塊(マッス)を巧みに操り、画面の統一を獲得しました(挿図4《兎のいる聖母》)。晩年の彼は、筆触があらわで、近くでは絵の具の斑点にしか見えないが、遠くでは光と空気を備えた存在として機能する、遠く印象派を予示する画法を生み出しています。ヴェネツィア派の彩色法は、ルーベンスやベラスケスらのバロックの画家、あるいはロマン派のドラクロアに大きな影響を与えました。

 ところが17世紀中ごろ、改めてレオナルドの探求を厳密に再検討し、色の彩度を犠牲にすることなく明暗法を用いる科学的な方式を探求した画家たちがいました。それは、フランス人でローマで活躍したニコラ・プッサンであり、彼の友人で今回の「イタリア素描展」にも出品のあるピエトロ・テスタです。彼らは、ド・ピールの採点表によれば、次のようになっています。

構図

素描

彩色

感情表現

プッサン

15

17

6

15

テスタ

11

15

0

6

 それでは、ド・ピールによっては高く評価されなかった、もうひとつの彩色法とはいったいどのようなものであったのでしょうか。プッサンの《マナの収集》(挿図5)を例に考えてみましょう。ここでは白と黒の使用を限定して高い彩度を保持しつつ明暗の移行を巧みに表現する、いわば色彩遠近法というべきものが組織だって用いられています。

 もっとも明るい光のもとで彩度が高く、レオナルドの言葉では美しくなるのは黄色ですが、前景のもっとも強い光の当てられた人物に用いられています。かなり影になったところで彩度が高くなるのが青で、前景右手の人物の影になったところに用いられています。ここでは、明度の極端な対照と鮮やかな彩度の色彩対比が試みられているのです。

 鑑賞者から距離のやや遠いところでは、当たる光が減じられるので、そうした光のもとで彩度が高い赤や、あるいは緑、橙が用いられています。また、さらに距離が遠くなるにしたがって彩度が低くされると同時に、明度の幅とコントラストが少なくなるような配慮がなされています。

 完成された絵画作品のめざす方向の違いは、当然のこと素描の技法や性格を決定づけます。

 今回出品された素描の紙の地の多くには、着色がなされています。そうすることによって、地の色が陰影と明るい部分との中間の調子として活用できるからです。現存するそうした例は14世紀にさかのぼりますが、明暗表現への関心が増大した盛期ルネサンス以降その重要性が格段に増加しました(挿図6)。

 その一方で、紙の地を光が当たった部分とみなし、影の部分に深い褐色のウォッシュ(淡彩)を用いるコントラストを重んじる手法もありました(挿図7)。

 中部イタリアでは対象の存在を抽象化された形で描き出します。(挿図8)が、北イタリアやヴェネツィア、あるいはバロックでは、光や大気、あるいは運動感をも含み込んだ形で対象をきわめて感覚的にとらえています。(挿図9、10、11)。本稿を手がかりに、素描というモノクローム(単色)の世界で、芸術家たちが色彩や明暗表現についてどのような関心を払ったかについても考えていただければ幸いです。

【H.K.】 

 
挿図1・ミケランジェロ《トンド・トーニ〈聖家族〉》 1503年頃、フィレンツェ、ウフィツィ 美術館

挿図2・レオナルド・ダ・ヴィンチ《岩窟の聖母》1483-86年、パリ、ルーブル美術館

挿図3・ラファエッロ《キリストの変容》1518-20年、ローマ、ヴァチカン美術館

挿図4・ティツィアーノ《兎のいる聖母》1530年、パリ、ルーブル美術館

挿図5・ニコラ・プッサン《マナの収集》1639年、パリ、ルーブル美術館

挿図6・フラ・バルトロメオ《二つの衣の習作》

挿図7・ヴァザーリ《ゲッセマネの祈り》

挿図8・ポントルモ《うつぶせに横わたる男の習作》

挿図9・コレッジョ《エヴァ、天使、果実を持つプットー》

挿図10・ヴェロネーゼ《エジプト逃避途上の休息》

挿図11・グエルチーノ《衣をつかむ女》

 

イタリア素描展

1996年4月19日(金)−5月26日(日)

愛知県美術館〔愛知芸術文化センター10階〕

■月曜日休館(ただし4月29日、5月6日は開館、4月30日、5月7日は閉館)

■ 午前10時〜午後6時/金曜日は午後8時まで(入館は閉館30分前まで)