音のエクスタシー
ひさびさにセクシーな音に出あった。サムルノリの4人の若者〈チンセェ〉、ソリ(唱)の金京淑、金延a、渡辺香津美(ギター)、梅津和時(サックス)、林英哲(太鼓)、山下洋輔(ピアノ)たち。〈チンセェ〉の揺らめく頭飾り、林の太鼓のバチ、梅津のサックス、それら全てがセクシュアルなシンボルとして音と交錯する。いや、彼/彼女らの身体そのものがセクシーだったのだ。さらにエピローグの《アリラン》の大合唱で、舞台の上に駆け上がり、忘我の表情で踊っていた聴衆。音楽を聴くこが、パフォーマーとの交感であったことを思い出させる瞬間が生まれた。
私たちはあまりにも、CD的な音楽の聴きかたに飼育されてしまっている。デジタル・サンプリングによって加工され尽くした音を、思うがまま断片的に聴き分ける。作る方も聴く方も、音楽を肉体の発するメッセージとしてトータルに体験することを、初めから拒んでいるかのようなシステム。いわゆる、ポストモダン的な音楽のありかた。だから今回の舞台も、最初はいくら和太鼓の奏者が熱演しようと、客席は見慣れぬ映像を見つめるように、なんとなくシラけ、冷たい空気が流れていた。そのような知の投網を、いとも簡単に、そして見事に打ち裂いたのが、サムルノリによる音のシャワーだ。それ以後、聴衆は情の荒波に巻き込まれてしまった。その情には、情感だけではなく、新しい情報もいっぱい詰まっていた。つまみ食いはさせぬぞという、気迫の決意が伝わってさた。
ユーラシア大陸の東の果ての半島と、そこから切り離された島の音楽。わずかな距離にある海峡の重みをあぶり出さんとする「日韓音楽祭」は、結果的に、日韓という枠組みを越えて、あたかも地続きのアジアの大地が浮かび上がってくるような、肉厚な表現をもたらした。彼らはリズムを中心に据えた戦略によって、音楽のコラボレーションに成功した。具体的には、日本の音楽家が韓国のリズムに挑戦することによって。
それにしても、サムルノリのめくるめく金属音は、東アジアから東南アジアに広がるゴング文化が、いまも確かに生きていることを実感させる。それは遥か古代の人々の、金属に対する熱い眼差しに思いを馳せ、ここに再生させることでもある。古代において、金属器はパワーの象徴であった。木器や土器に較べて遙かに高度な技術によってもたらされるゆえに聖性を帯び、祭祀の神具として用いられた。音そのものもまた、複雑な構成音と余韻によって、超自然的な力が潜んでいることを喚起させた。だからこそ、、金属の音は人々の魂を容易に直撃していたのだ。
この文化は大陸から半島を経て日本に上陸したが、いまその系譜をたどっても、弱々しく薄められた残滓に出あうだけだ。かろうじて、カミ的なるものを招来する梵鐘や、不慮の死によって浮遊する霊を慰める祇園囃子などに、生きた例を見いだす。それとても、原初の段階にあった、魂や肉体との生々しい交感は、ほぼ失われてしまっている。
サムルノリは、芸能として整備されたのは最近のことだが、表現の核に古代的ともいえる肉体性を押し出しているところに、際立った特徴がある。彼らはダンサーであり、カミでもある。だからサムルノリは、合理性からはみ出るものを引きずっている。肉体から発散する「嗅い」がある。仮想現実からはほど遠いところに彼らはいる。
その嗅いは、サムルノリだけでなく、上演された韓国の伝統音楽におけるヘテロフォニックな響きすべてに感じとることができた。まさに十人十色の旋律が、うねるように同時進行していく韓国の音楽。どこかタイやミャンマーの合奏音楽にも通じる、粘りつくような色彩がある。
日本の伝統音楽もまたヘテロフォニックだといわれるが、はっきりと違いが描き分けられた。日本のヘテロフォニーには粘りや嗅いは何もなく、むしろ鮮やかなまでにスカスカで空虚な空間を生み出している。海峡を隔てた音の空気の密度の差異は大きい。日本の伝統において、肉体性が徐々に削ぎ落とされていったのが、手に取るように分かるのだ。
だが、そういった日本の現状に棹をさす一群の音楽家がいる。最初に挙げた、挑戦的でセクシーな演奏家たちだ。圧倒的な肉体性の発散。まるで海峡の溝を埋め、私たちの肉体性の回復を祈念するかのように響く。彼らが韓国の人々とコラボレートした瞬間、私たちの身体が思わず浮き上がり、やがて踊り始めるほどになったのは、当然の成行きといってよい。
中川 真(京都市立芸術大学助教授)
第1部:プロローグ
着到〜祭囃子――サムルノリ――祭囃子とサムルノリの共演
林英哲(太鼓)、仙波清彦(太鼓他・30日のみ)、木津茂理(太鼓・29日のみ)、木津かおり(鉦他)、佐藤一憲(太鼓)、田中顕(太鼓)、植村昌弘(太鼓)、竹井誠(笛)
<サムルノリ・チンセェ>金福萬(ケンガリ)、金m洙(杖鼓)、吉其ト(プク)、李倫求(チン)、金裁栄(太平簫)
第2部:韓国の伝統音楽
1散調合奏(サンジョハプチュ)とシナウィ、サルプリ舞
2清声曲(チョンソンゴク)
3パンソリ[春香歌(チュニャンガ)のうち「サラン歌」]
4僧舞(スンム)と竹風流(テーブンニュ)
5東海(トンヘ)バダ[東海の海]〈創作曲)
安聖雨(大■「清声曲」独奏)、李太白(牙箏)、鄭會■(大■)、徐永浩(牙箏)、金裁栄(■■)、徐永勲(■■)、姜垠一(■琴)、金星娥(■琴)、文京雅(伽■琴)、李廷珠(玄琴)、元完哲(杖鼓)、金京淑(唱)、金廷a(唱)、金利恵(舞踊「僧舞」)、金旻政(舞踏「サルプリ舞」)、サムルノリ・チンセェ
第3部:邦楽“勧進帳”
立唄:杵屋喜三郎
唄:杵屋六昶、杵屋吉之亟、杵屋直吉(30日のみ)、杵屋六七郎、杵屋六昶a(29日のみ)
立三味線:杵屋五三郎
三味線:杵屋彌四郎、杵屋五吉郎、杵屋五英治
上調子:杵屋五三寿郎
立鼓:仙波宏祐
小鼓:仙波清彦(30日のみ)、仙波大明、仙波和典、仙波顕(29日のみ)
大鼓:住田長十郎
笛:中川善雄
かげ囃子:望月太八次郎、仙波顕(30日のみ)、仙波昌弘、仙波宏香(29日のみ)
第4部:出会いの祭り
1ペンノレ
韓国楽器にギター、サックス、尺八、横笛、津軽三味線、太鼓を交えた韓国民謡「ベンノレ(舟歌)」。
2チャンダン組曲
様々な韓国のリズム・パターン「長短」をアレンジ。
サムルノリ、ギター、サックス、小鼓、和太鼓、ドラムによるセッション。
3新ペンノレ
「ペンノレ」をさらにヴァージョン・アップ。
4津軽山歌〜ホーハイ節
和太鼓ソロにはじまリ日本民謡2曲を韓国楽器を交えて演奏。曲間には津軽三味線と伽■琴のセッション。
5巫俗舞(オージョンクッ)
死者を舟に乗せて送るクッ(巫俗儀式)をモチーフにした創作舞踊。
6トゥハナ(即興)
サムルノリ、ピアノ、ギター、ドラムによる即興。
7フィナーレ
ギター、津軽三味線、杖鼓のセッションにはじまり、サックスと和太鼓、太平簫のセッション。韓国楽器を交えての祭囃子、そして全員による大即興。最後は歌も交え「東海バダ」でフィナーレ。
8アリラン(アンコール)
李太白(杖鼓)、安聖雨(大■)、鄭會■(大■)、徐永浩(牙箏)、金裁栄(■■)、徐永勲(■■)、
姜 垠一(■琴)、金星娥(■琴)・文京雅(伽■琴)、李廷珠(玄琴)、金京淑(唱)、金廷a(唱)、金利恵(舞踊)、サムルノリ.チンセェ
渡辺香津美(ギター)、山下洋輔(ピアノ)、梅津和時(サックス)、林英哲(太鼓)、仙波清彦(太鼓・30日のみ)、竹井誠(笛)、木下伸市(津軽三味線)、佐藤一憲(太鼓)、植村昌弘(太鼓)、田中顕(太鼓)、木津茂理(唄・太鼓)、木津かおり(唄・鉦他)
写真撮影/南部辰雄
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