無常を観る
古川あいか

ベルギーを拠点として主に海外で研鑽を積む愛知出身の作家、
古川あいかを地元で紹介する貴重な機会。
身の回りの”皺(しわ)”を主なモチーフとするインスタレーション性の強い作品は、
どのように生まれて、どこへ向かうのか。
聞き手/愛知県美術館 館長 拝戸雅彦 撮影/千葉亜津子

古川あいか Aika Furukawa

1982年愛知県生まれ。2008年東京藝術大学美術学部卒業。12〜15年文化庁新進芸術家海外研修制度研修員やポーラ美術振興財団在外研修員の制度を受けドイツのライプツィヒで活動し、現在はベルギーに拠点を置く。15年『あいちトリエンナーレ地域展開事業-豊穣なるもの-現代美術展 in 豊川』(旧豊川信用金庫 愛知)、16年『異空間のアーティスト:加茂那奈枝+古川あいか』(豊川市桜ヶ丘ミュージアム 愛知)に出展。ライプツィヒやブリュッセルなどで個展、グループ展を多数開催。

年明けから展示を控えた2023年末に来名インタビュー。「支えになっている家族に見てもらえるのは、やっぱり大事なことだなと。ありがたいです」と古川。

4mの透過カンバスに書と絵画の世界が共存──

拝戸(以下、拝) 古川さんの作品は、裏側からも透けて見えるのが特徴ですね。

古川あいか(以下、古) 透過カンバスは自分で作り出しました。透けているので、向こう側の人が見えたり、その場の光や環境が絵画に入り込んだり。描いているのは透過カンバスの表側だけですが、描いた痕跡が自然と裏側に現れる偶然性も作品になっています。

拝 絵を両面から見る状況を作っていく発想はどこから出てきたのでしょうか。

古 私が学生だった頃、祖父の遺品の中の般若心経から着想しました。お経の中で説かれている「無常」、つまり、どのようなことも変化していくということの素晴らしさに気づき、「これ以上のコンセプトは私の作品に見つからない」と思って、2007年から続けています。光や影、人の動きはどんどん変わっていく。人の悲しみや苦しみも一時的で、一生残るものではありません。希望があり、毎日の出来事や今幸せなことを大事にすればいい。その意識が常にあると、自分を守れます。それはみんなに通じることだなと思い、物事すべての「無常」を表すモチーフとして、皺、とくに布の皺をテーマにしてきました。参考となったのは、まず私が独学で油絵を始めるきっかけになったファン・ゴッホ。彼は皺や渦のような表現がすごい。それからルネサンス期のイタリア絵画に見られる衣服の皺。衣服に無限の面白みを感じるのは、私がクラシックバレエを長くやっていて、身体の延長上にバレエの衣装があるような、衣装にも身体性が入ってくるような感覚があるからだと思います。作り物の皺を描きたくないので、生活空間に偶然現れた布の美しい皺を毎日撮りためています。こうした皺は、人の傍で生まれるもの。私の作品が、透けていることにより、鑑賞者の周囲に線や面や立体を超越した空間のひろがりを生むことにも繋がるように思います。

拝 透過カンバスに馴染みのないヨーロッパの人たちの反響はいかがでしたか。

古 ベルギーでは「もの派」が流行っていて、物質をそのまま作品としたもの、透過カンバスのように物質性が強い作品を見る経験を持つ人は増えてきています。瞑想をやっている方も多いので、自分と周囲の空間を意識するように、自分と私の作品、その周りの空間の関係は理解を得られています。

オーストリア応用美術博物館『FALTEN(皺)』展 2023

拝 古川さんのテクニック的には、古川さんが美術を勉強された現代ドイツ絵画のボリューミーな立体感や色彩豊かな絵画の片鱗が感じられます。その一方で、ふわっとした手の動きを感じさせる水墨画のようなものとの二重構造が面白い。ヨーロッパの人たちには「東洋人の表現」と評価されるかもしれませんが。

古 それは私の売りですね。東京藝大で油絵を学ぶということは、西洋絵画を日本で学ぶわけですが、混ざりゆく東西の表現の中で、本場に行って自分は何ができるかと自分なりに追求してきました。社会に目を向けながら「自分の才能は何か」を絞り出していくと、日本で育った自分に辿り着きました。書道家の祖父や家族から教えてもらった経験などを生かさないと、と考えて。

拝 一般的に書と美術は相容れない感じがしますが、古川さんのお母さまが絵画教室をされていて、古川さんが小さいころから学んでいた書と絵画の世界は共存できたのでしょうか。

古 私の感覚的に美しいと感じる線はありまして、それをいつも求めています。いい作品をたくさん見てきて、書と絵画に似たようなゴールはあると思います。私の父方は書の家系で、母方はメリヤス工場を営んでいました。

拝 メリヤス工場は布や繊維、皺が身近で、その感覚が古川さんの中に吸収されていますね。

日本の現代アートの文脈ではない、海外で頑張る美術家として――

古 美術家は、自分のバックグラウンドや環境を理解したうえで制作しています。作品はすごくいろいろなことが絡み合って出来上がるもの。私は言葉よりも視覚的なものが先行していて、視覚的なものから影響を受け、社会も視覚的に認識し、作品として発信しています。時代を映すブリュッセルの建物を毎日のように見ていて、目に焼き付いていたアール・ヌーヴォー様式のバルコニーが、自然と墨の線になって私の作品に現れました。

拝 ベルギーのアール・ヌーヴォーには19世紀から流行したジャポニスムからの大きな流れがあります。ベルギーのアーティストたちが影響を受けて、彼らなりの解釈で消化していったものを古川さんが見ているのですね。

古 線や書の感覚は、ベルギーに移ってから持ち始めました。ドイツではマックス・クリンガーを研究し、新ライプツィヒ派を代表する画家ネオ・ラオホやマティアス・ワイシャーと仲良くなりました。そのときに透過カンバスも生まれました。今回展示される《構成 - 30.8》はドイツ、《失った色 - 2》はベルギーで描いたもの。今考えると、ちょうど境目です。

拝 両作品を並べることで、古川さん自身の成長が見られるのですね。西洋の絵画技法と東洋の書を掛け合わせる方法はオリジナルだし、やり抜けば個性的な表現になっていくと思います。

古 ヴィクトール・オルタの建築を見に行ったとき、浮世絵の影響を受けたアール・ヌーヴォーを取り入れた内装に震えるほど感銘を受けました。西洋と東洋の掛け合わせは、もっと自分なりに研究していきたいと思います。

拝 古川さんは無常という概念を、ジャポニスム、オリエンタリスム、エキゾチシズムではない形で作品化しています。70~80歳になっても絵のスタイルを変えていける美術家がいるなかで、古川さんは年齢的にも中間地点にいますね。無常という話がありましたが、古川さんも制作を続けていくなかでどう変わっていくのか、絵に現れていく変化を、我々も古川さんと一緒に見届けていきたいです。

古 私の技法は3年に1度くらい変わっています(笑)。《失った色 - 2》には、色のある絵を描けなくなっていたところから、作品に色が戻ってきそうな、私は色を完全には失っていないんだ、という私の心境変化が反映されています。私は光の三原色を使って皺に落ちた光を描くのですが、当時は光に希望という意味も込めていました。

2024年1月16日(火)〜4月14日(日)開催
2023年度第4期コレクション展
場所/愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
時間/10:00〜18:00
※金曜〜20:00(入館は閉館の各30分前まで)
休館日/毎週月曜日
料金/一般500(400)円、高校・大学生300(240)円、中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体料金

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