3月13日(日)までのコレクション展で展示している《Kahlek 2017》の一場面と八幡亜樹。

“辺境”の取材や調査を通じて
“生きるために必要な芸術”を
追い求める映像作家 八幡亜樹

若手アーティスト支援のため、愛知県が美術品等取得基金に設けた特別枠で新たに収蔵した八幡亜樹の《Kahlek 2017(カーレック2017)》。インスタレーション作家である彼女のクリエイションに長年注目してきた学芸員が、本作に対する思いと今後の活動について聞いた。
聞き手/愛知県美術館 主任学芸員 中村史子 撮影/中垣聡

八幡亜樹 YAHATA Aki

1985年東京都生まれ、北海道育ち、京都府在住。2008年東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業。10年東京藝術大学美術研究科先端芸術表現専攻 修士課程 修了。映像インスタレーションを、『「人類の表現=生きること」のための思考装置』と捉え、調査をベースとした作品制作を行なっている。

愛知県が若手アーティスト支援のため美術品等取得基金に設けた特別枠で収蔵した作品

ミクロネシア連邦のピンゲラップ島民にクローズアップした映像作品。ピンゲラップ島は、高確率で1色型色覚(全色盲)者が生まれる島。漁業を中心に生活を営む島民の姿を捉え、モノクローム(全色盲の方の視点)とカラー(正常色覚の方の視点)を交互に映し出すことで、ピンゲラップ島民の視覚世界に寄り添い、世界の見え方について問いかける。

芸術というエビデンスがあってもいい-

中村(以下 中) 《Kahlek 2017》を撮影したピンゲラップ島へは、医学部に在学中に全色盲の方の調査で訪れたんですか?

八幡亜樹(以下 八) この世界を白黒の世界として認識している人が少なくない島では、全色盲の方の知覚が投影された文化の成立があるのではないかと仮説を立てて調査に行きました。医学的な調査だと、複数の症例の平均値から結論やエビデンスを導き出すことになってしまいますが“個”というエビデンスや真実を超えるものはないという思いがあって、ピンゲラップの制作を通してそれを再確認しました。

中 一般的な医療現場では数多くの全色盲の方を診た上で、どのような対策が取れるか科学的に方法を導き出しますが、目の前にいるこの方には、もしかしたら別の何かが必要かもしれない、ということですね。

八 それはそうですね。ただ、誤解されがちかもしれないのですが、私はマイノリティと呼ばれる方に取材をさせていただくことは多いのですが、自分がその方たちの身の振る舞いや強靭さから学ばせていただいている立場で、自分がケアを与えるとかそういう発想で制作していません。ただ、いただいた学びを引用や参考として、社会の希望に通じる作品を作れたら良いなとは思っています。ピンゲラップ島では、カーレック(Kahlek)*という伝統漁を、各個人が、それぞれにどういうストーリーや知覚で捉えているかに興味を持ちました。伝統という精神性にまで根差した共通項について語ってもらうことで、その微妙な差異などから、医学などでは見えてこない全色盲のある種の真実みたいなものが見えてくるんじゃないかと思いました。
*Kahlekは限られた時期にだけ行われるピンゲラップ島の伝統的なトビウオ漁。松明の灯でトビウオを誘き寄せて捕まえる。漁に関連してたくさんのしきたりがある。

中 八幡さんはカーレックをはじめとする島の文化や、ここに暮らす人々の声を通じて、間接的に全色盲の方を含む、人間の暮らしみたいなものを浮かび上がらせているということですね。そして、それには芸術という方法が適しているのでしょうか。

八 芸術の実用性というか…科学には決して劣らない芸術の確かさみたいなものが多分あって、それは目指して行きたい一つの強度かなとは思っています。

環境による障がい者意識の違い-

中 完成した作品は現地で上映会をされていますが、島民の反応はどうでしたか?

八 知り合いが映っているからワハハ!みたいな、ホームビデオを観ている感じで、自分たちの文化を客観視してどうこう、というのは特になかったですね。

中 全色盲の方が出る時はモノクロにするなど、意識的に色を編集されていましたが、そういった部分も特に言及されなかったのですか?

八 島民の方からは特になかったです。そこまで障がい者意識がないんだと思います。でもそれがはっきり見えたのがカーレック。全色盲者の方たちは、本当は松明を持って儀式の主要な役割を担いたい。だけど、周りからは危ないと言われて出来ない。普段の生活では全色盲の方と正常色覚の方の違いは見えてこないんですけど、島民にとって重要な伝統漁で、そういった不満や障がい認識が見えてきたというのは個人的には興味深かったし、やらせてみてあげて欲しいと素直に思いました。

中 言い方を変えれば、カーレックを除く普段の生活にはほとんど支障がないのでしょうか。

八 島という本当に限られた生活圏で小さな頃から暮らしているから、かなりのことが自分でできてしまう。都会で生きる全色盲の人が就労できない場合があるというか、できないことがこんなにあるという部分にフォーカスするというのとは少し違いましたね。めちゃくちゃ高いココナッツの木もヒョイヒョイ登れるし、羞明と弱視はありますが、同時に身体能力への自信も感じました。

手食によって辺境をポップ化する-

中 映像の中にある、魚を捕って焼いて食べるシーンが印象的でした。以前、パティシエを目指していた時期があったと伺いましたが、それも含め、食べることへの関心は強いのでしょうか。

八 無自覚でしたが、蓄積されてきた作品のほぼ全てに食べるシーンがあって、最近はより強く「食」について考えるようになりました。次は味覚障がいの方と一緒に作品を作りたいと思っています。コロナの後遺症で味覚・嗅覚障がいになった方が、食の楽しみを失ったり社会の理解を得られにくく鬱病になっているケースがあると知りました。実際に後遺症を抱えながら暮らしている方の体験や工夫、食のプロにも取材して、味覚障がいとともに生きることについて感じ考える作品を作ってみたいと思っています。他にも「手食」について深めたいと思っています。介護の現場で、衰弱して食べられなくなったご老人に、食べ物を手食できる形で渡したら、よく食べるようになったという話を聞きます。「手食」って、歴史や人間の発達を振り返っても、生きるために必要なパフォーマンスなんじゃないかと思って。

中 一方で、手で食べるのは行儀が悪く、お箸やフォークを使いこなすべきだと私たちは小さな頃から教わってきました。

八 手食の文化圏では手食のマナーがあるし、日本とは違う価値観だと思います。ただ、人が認知症になって手掴みで食べるのは、ご家族としてはみっともないから止めてほしいと言うけれど、人類が生きるために必要なパフォーマンスかもしれないことを芸術として証明してみたいのかもしれない。

中 今までは映像というアウトプットでしたが、今後は例えば自分で食べるものを出して…ということも展望としてはあるんですか?

八 「手食の会」とかやりたいですね。もしかすると味覚障がいについての取材などともつながってくるのではないかとも思っていて。そういういくつかの調査やクリエイションを、必然性を手繰りながら1本の軸で貫通させてインスタレーションを作ることが最近多くて、次もそのようなことを考えています。手食は異国にトリップするという心身を遠くに飛ばす作用もあると思っていて、「辺境をポップ化する」という最近のテーマの一つにおいてもすごく重要なトピックかなと思っています。自分の中で「辺境」って、地理的、社会的、精神的、肉体的などの側面があると思っているのですが、そのまま直球でやっていくととてもヘビーで伝わりにくさもある。食はそれにポップさをもたらしてくれるのではないかと思っています。

左/愛知県美術館 主任学芸員 中村史子、右/八幡亜樹。

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