歌手、モデル、講演、執筆など、幅広い活動を行なう片山真理さん。群馬県にあるアトリエにて撮影。
自分の身体と向き合いセルフポートレートで
表現する義足のアーティスト・片山真理
手縫いの作品や装飾を施した義足を使用したセルフポートレートを制作し、国内外で活躍するアーティスト・片山真理。現在は自身が育った群馬に拠点を移し、家族との時間を楽しみながら創作活動を行なう。今までもこれからも、写真というメディアを使った表現者であることに対する思いを聞いた。
聞き手/愛知県美術館 館長 拝戸雅彦 撮影/海野俊明
片山真理 Mari Katayama
1987年、埼玉県生まれ、群馬県在住。先天性の四肢疾患により9歳で両足を切断する。2012年、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。「群馬青年ビエンナーレ’05」入賞、「あいちトリエンナーレ2013」では大規模なインスタレーションを発表。19年「第35回写真の町東川賞」新人作家賞、20年「第45回木村伊兵衛写真賞」受賞。
愛知県が若手アーティスト支援のため美術品等取得基金に設けた特別枠で収蔵した作品
片山真理《mirror》2013年 発色現像方式印画、額
片山真理《veil #002》2013年 発色現像方式印画、装飾された額
片山真理《ballet #002》2013年 発色現像方式印画、装飾された額
ダークな雰囲気だった作品が徐々に変化している理由とは…
拝戸(以下 拝) 初期は暗い印象の作品が多かったけど、今はバリエーションが増え、いろいろな表現をしていますよね。今の作品が持つ明るさはどこからきているんでしょうか。
片山真理(以下 片) 創作活動を始めたのは16歳頃で、もう20年近くになりますが、初期を振り返ると暗いわけじゃないけどポジティブでもない。何でも受け入れる気質で、それが分かりやすく出ているのだと思います。変わらない日々が永遠に続くこと、人の営みを続けていかなければならないことに対する怖さが出ているのかも。でも人を怖がらせるものは作りたくないし演出もしたくないので、それは気を付けています。今の明るさは、そういう注意からきているのかもしれません。
レジデンスでの経験が表現の幅を拡げるきっかけに―
片 2014年から15年にかけて「アーツ前橋」(群馬)のレジデンスプロジェクトに呼ばれたんです。重度の身体障がい者が2か月も滞在して創作活動をする…。私に何ができるかわからないし、どうなるかわからないと言ったら「アーティストがその場にいることが重要だ」と。でも義足が壊れたら動けなくなるし、部屋から出られなくなる。万が一そうなったらどうしようと悩みました。でも滞在中に仲良くなった方たちからのリクエストで、滞在中、前橋の商店街で流しをさせてもらって。「写真家さんなの?」「はいとは言えないけど、写真撮ってます」「じゃあうちの店撮ってよ」という感じでセルフポートレートを撮ることになりまた新しい作品が生まれて。そんな時、16年の「瀬戸内国際芸術祭」出品が決定し、15年からは直島に通うようになりました。それまでオブジェの中に自分の身体以外のものが登場したことはなかったけれど、直島の人たちとの交流をきっかけに、直島の人たちの手を入れようと思いました。最初は今までにないことだったので異質で、地域アートに乗り過ぎて私の作品ではないと感じました。でも、群馬と直島を往復することで生まれた、このモンスターのような作品が愛おしく思えてきて、初めてみんなで作る作品を受け入れることができたんです。今までは身体的なこともあって、自分にできないことは諦めてきましたが、直島のレジデンス経験で、できないことは人に頼めば良い、何かあれば助けてと言えば良いのだと思えました。そうして直島で学んだことは今、無理難題の連続である育児にも活かされています。育児は人生で経験してきたことの何よりもハードだけど面白い。今年4歳になる娘との関係性も楽しくて、徐々に作品や生活が自分の手を離れていく気がしています。“やれないことは人に頼む”ことが、バリエーションが増えてきたきっかけなのかもしれません。でも、ひとつだけ、写真だけはセルフで撮ると決めています。
拝 確かに最初のころは身体の不自由さを抱え込んでいる気がしました。自分でできることは全部自分でやるという密室性がありましたが、13年の「あいちトリエンナーレ」からは、どんどんご自身を開いている気がします。しかし、表現の質は変わっていないのでしょうか。
片 変わっていないと思います。筋が通っているかはわからないけれど、私は1人しかいないから。突拍子もないことをしても、それには意味があると思うし、たくさん実験をして、いろいろなことをやりたい。実は19年の「第58回ヴェネチア・ビエンナーレ」に出てからは、「ヴェネチアのやつ出して」と言われることが多くなりました。以前は「現代アーティストだから今の作品を観てほしい!」と反発心を持ったりもしましたが、美術は1か月2か月で変わるものではないから、今は「今作ったものを今出さなくても良いか」と焦る気持ちがなくなり、ポジティブな気持ちを持つようになりました。
自分の身体と向き合うことで社会との関りを探るように―
拝 片山さんにとってセルフポートレートで自分を見せることの意味とは?そしてそれはこれからの表現とどう繋がっていくのでしょう。
片 自分のことは全部自分でやりたいと思っていたし、他人の撮る写真では他人の作品になってしまうから表現方法はセルフポートレートになりました。自分の身体で経験したことがすべてだからそれを使って表現したいし、自分の身体と向き合うことで、社会と関われるかもしれないという思いもありました。社会的には自分は障がい者で、昔は怖くて家の中から出られなかった。最近は外に出て、娘をきっかけに人と付き合うようになって、自分と他人がいるから社会があるのだと気づきました。娘が社会と私を密接な関係にしてくれたんです。昔は、社会は社会、私は私と線引きをしていたけど、そうじゃない、すべて繋がっているんだと。夫と娘も家族ではあるけれど、どちらも私ではない他人。家族って他人が集まる社会だと思うんです。そういった思いは作品にもちろん影響しています。最新作は長時間露光撮影によって身体が透けているんですが、この作品によって気づかされたことが、“正しい身体はいらない”ということ。身体あっての制作だし、大好きな人たちには身体を大事にしてねと思うけれど、正しさはいらないんじゃないかと。娘が生まれたとき、障がいが遺伝せずに指と足があって安心したけれど、それらが無くても愛情は変わらなかったと思います。だから自分が求めていたことが、それほど大事じゃないと気づき、そうなったら身体を手放そうと思えたんです。不思議なんですけど、作品が教えてくれることはたくさんあって、今回のも意図せず透明になったんです。今まではセルフポートレート然り、何でもコントロールしたかったけれど、これからは、自分では考えられない何かが起きた方が面白いものが生まれる気がしています。
過去の作品や、創作に必要な道具やパーツが並ぶ群馬県伊勢崎市にあるアトリエ。
「あいちトリエンナーレ2013」で展示した作品の一部を手にする愛知県美術館 館長 拝戸雅彦(左)と片山さん。
「瀬戸内国際芸術祭2016」で発表した《bystander #016》(2016)。