REVIEW
愛知芸術文化センターで過去に行なわれた展覧会や公演などを振り返る「Review」。観た人も観逃した人もコチラをチェック!
美術館 人生としての芸術、芸術としての人生
GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?
2021年1月15日(金)~4月11日(日)
場所/愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
「GENKYO 横尾忠則」展の最大の特徴は、作品による自伝という構成にある。制作年順に作品を並べる、ということではなく、例えば幼年期の記憶をモチーフにした作品によって、その年代の生き様が浮き彫りとなり、会場を巡ることで、波乱に満ちた横尾の人生を追体験することができる。
アーティストには、作品と自分の人生を完全に切り離すタイプと、両者が不可分に結びついているタイプがある。横尾は間違いなく後者であり、だからこそ今回のようなキュレーションが成立するのである。そのことは、日記に対する異常なまでのこだわりからも垣間見えるだろう。横尾が日々記録している日記には折々の写真や新聞記事など様々なものがコラージュされており、極めてビジュアル的な完成度が高い。つまりこれらの日記は、他者の目に触れることを想定して、あらかじめ編集されているのである。それは無味乾燥な事実の羅列ではない。横尾の人生は、他者に読まれることを想定した、一種の「物語」なのである。
波乱のない平穏な「物語」など、何の面白味もない。本展を通じて浮かび上がる横尾の生涯は、彼が幼少期に熱狂した冒険小説(南洋一郎の密林ものや江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズ)の世界を、まさに彷彿とさせる。実際、その人生はハプニングの連続だし、作品においても、大震災やコロナ禍といった大きな災厄を、時に予見するかのような表現が生み出されてしまう。信念が強ければ実体化するのか、あるいは芸術とはそうした予見的な力を含むものなのか、筆者には見当もつかないが、ある意味横尾の生き方は、人生と芸術とを一体化させようとする壮大な実験なのかもしれない。
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REVIEWER 山本 淳夫さん
横尾忠則現代美術館、館長補佐兼学芸課長。芦屋市立美術h3博物館、滋賀県立近代美術館を経て2012年より現職。
劇場 不変の愛を鮮やかに描いた出色の新作初演
勅使川原三郎 芸術監督就任記念シリーズ 新作公演ペレアスとメリザンド -デュエット版-
2021年2月21日(日)~23日(火・祝)
場所/愛知県芸術劇場小ホール(愛知芸術文化センター地下1階)
©Naoshi Hatori
勅使川原三郎の愛知県芸術劇場芸術監督就任シリーズの掉尾を飾る新作『ペレアスとメリザンド‐デュエット版‐』が初演された。クロード・ドビュッシー作曲の同名オペラに想を得ているが、勅使川原は2015年、拠点の「KARAS APPARATUS」において佐東利穂子が踊るソロ版を創っている。今回は佐東と自身によるデュエットとして新たに創作した。
物語は“架空の国”で展開される。オペラ同様に王子ぺレアスと異父兄ゴローの妃メリザンドの道ならぬ愛を扱うものの筋を追うのではなく、ドビュッシーの妖しくも芳醇な響きと共にペレアスとメリザンドの愛の真実を浮き彫りにするのが値打ちだ。
黒いロングドレスをまとった佐東は、メリザンドの悲哀や透徹した存在感を玄妙に醸し出す。たゆたうような舞いも、激しく身を絞るような踊りも、自然の摂理に導かれるかのよう。そこに同じく黒の上下の勅使川原が変幻自在に現れ、濃密なドラマを立ち上げた。
ペレアスはゴローに命を奪われ、この世ならざるものとなる。メリザンドも体が弱り死が迫るが、愛する人への想いは消えることはない―。あの世とこの世をめぐる、絶対的だけれども儚い愛は痛ましくも神々しい。闇の中、水音と一緒に浮かぶ泉は、生命が誕生しやがて消えゆく営みの象徴に思われた。
不変の愛を鮮やかに描く本作は、昨年愛知でも上演された『白痴』、欧州等でも好評の『トリスタンとイゾルデ』といった近年の傑作に劣らぬ出色の出来ばえ。構成・振付それに光と闇を意のままに用いた照明など万事において、緻密かつ突き抜けた表現を追求する勅使川原の豊かな創造力が示されている。国内外で上演を重ねていくことを願いたい。
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©Naoshi Hatori
REVIEWER 高橋 森彦さん
舞踊を中心に舞台芸術関連記事を各種媒体に執筆。舞踊コンクール等の審査も務める。第12回日本ダンス評論賞佳作。