彫刻と彫刻でないものを
分ける境界線
平田尚也

ネット空間から収集してきた既成の3Dモデルや画像などを素材とし、
主にアッサンブラージュ(寄せ集め)の手法でPCのバーチャルスペースに構築した仮想の彫刻作品を発表。
独自の道を歩む彫刻家とともに「彫刻とは何か」を考える。
聞き手/愛知県美術館 館長 拝戸雅彦 撮影/千葉亜津子

平田尚也 Naoya Hirata

1991年長野県生まれ。2014年武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。18年第21回文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品選出、19年「群馬青年ビエンナーレ」ガトーフェスタハラダ賞受賞。23年3〜6月の広島市現代美術館リニューアルオープン記念特別展「Before/After」では新作のVR作品を出展。

《Six-fold summon#1 (samurai sword)》2021年

目で見る表面と、脳内の3次元仮想空間──

拝戸(以下、拝) 彫刻は、物質として存在し重量のあるものだと誰もが思っているけど、平田さんはどのようにお考えですか。

平田尚也(以下、平) 彫刻の厚みに関する話や、中身が詰まっているのかいないのかという問題がありますが、僕の中では「表面」が重要で、一番の興味は視覚表象として現れるもの。彫刻は触覚ベースと言われていて360度の情報を持っていますが、まず目で捉える視覚で受け取るもので、ボードレールの彫刻批判に対するロッソの応答のように、決められた一つの視点から絵画のように一瞬にして鑑賞されるべきだというか。

拝 それは大胆な発想。やっぱり人体彫刻はビジュアルではなく、そこに人体があるっていうイメージがすごく強いと思うんですが。

平 基本的にはあまり変わらない気もしていて、実際にそれを見たとき本当に実体を感じられているか。感じていると思うんですけど、どこで感じているか。そもそも人間の目は二つある。二つの視点で捉えているごくわずかな情報を脳が受け取り生成した画像を見ている。だから人間の脳には経験値に基づいたものすごい情報を補完しようとする能力があるんですけど、その中に3次元の仮想空間が発生しているような気がしていて。

拝 目が表面をなぞって、頭の中で立体を作り上げる。そうすると、平田さんが制作されているある種のデータ化された彫刻の世界にしっくりくるということですか。

平 そうですね。元々は材料費や作品の倉庫、アトリエなどのいろいろな事情があって、必然に迫られて今のスタイルになりました。造形をしたくて素材のこととかを考えたり、そこから得られる効果について神経を尖らせたときに、3DCGソフトの中で立体物を作って画像処理をして、現実の創作活動と同じくらいの情報量をそこに込められたときに何かを感じたというか。彫刻表現が成立させられてるのではないかという疑惑が生まれて、そこからどんどん突き詰めて今に至ります。ソフト内でものをグリグリといじくり回しているときが一番彫刻をしていると思っていて。粘土とかそういう物質が好きで、何かを作ってきた頃と同等の満足感が得られていました。シンプルなことをしていてソフトウェアの中の立体物は座標でしかないですが、数字の情報で成り立っているものを扱ってるっていうのが実は網膜を越えたところにある内の存在に触れられてるかもしれないと。大げさな言い方をすると、ちょっと進歩ではないか。今でも「彫刻とは何か」ってのはわからないんですけど、ずっと議論を続けてる中で話題に上がるところをちょっと切り開ける可能性があると思ってるんです。

愛知県美術館が新たに収蔵した本作は、22年度第3期コレクション展(3月終了)で公開された。「離れて見ると実体感を得ていたが、近くで見るとただの画像(イメージ)になる」と平田。

拝 伝統的な彫刻家は石や木、金属のどれを選ぶか、ある意味では限定された素材をどういう風に使いこなすかを考えると思うんだけど、平田さんの場合は。

平 立体物を扱っている感覚だけが共通で、全く違う素材だと思います。重力も風も摩擦すらないPCの中の3次元って、誰かが意図して操作しない限り固定された時間が止まってるんですよ。だから僕はソリッドのイメージがあって、ポリゴンっていう座標の集合体によって成り立ってるものを使ってるだけ。コンピュータでシミュレーションして、あたかも金属やガラスのように見せかけて造形ができます。

拝  PCの中で彫刻活動があり、アウトプットは。

平 僕は投影と呼んでいるんです。それは本体からの影みたいに捉えていて、僕が展示して人目に触れさせているというか。説明するときにプラトンの話をよく引用するんですけど、私たちが見ている世界は別の次元からの影で、イデアという現実より完璧な世界がある。

拝 平田さんはいわゆる彫刻のイデアを作ろうとしているのか。

平 いやいや。僕はそこに親和性を感じるけども、現実の物理空間とイデアみたいな感じの二分化では考えてはいなくて。基本的には何か次元は違うけど、地続きであるというイメージです。

美術家の一人として、日本の彫刻史を更新──

拝 これからずっと彫刻家として進化して、平田さんはどこを目指すのか。

平 自分が作るときに意識するのはつながり。自分が作ったものが、自分から生まれたオリジナリティ100%のものは絶対にあり得ないと思い、そんなことができたとしたら、それはもはや美術ではない。やっぱり僕は美術がしたいです。そのときに新しいものを作るのが目的ではあるんですけど、そのために過去を見つめ続ける。ちょっと過去を否定しながらも先に進む、特に彫刻史の方に関わりたいモチベーションでいます。日本では明治に「スカルプチャー」というものが西洋から入ってきたときに、元々日本にあった人形だとか仏像だとか、いわゆる「彫りもの」を言い表す「彫刻」という言葉をその訳語として当ててしまった。そのために「何が彫刻で何が彫刻でないのか」がとてもあやふやで、常に揺れ動くような状態になってしまいました。近年だとアニメや漫画、ゲームなどの今までサブカルチャーと呼ばれていた美術周辺のものたちの影響も美術の中に感じています。自分としてはそういう日本で流行しているものや、新しく誕生した個人で扱える3DCGやVRなどの技術も見てみぬふりをせずに、それらを考慮したうえで、今どんな彫刻が可能か、現代の彫刻とは如何なるものかということについて考察していきたいです。今の僕は必然的にそういうものを扱う人間になってしまったから、先陣を切って開いていけたらいいなと思いつつ、それが半ば使命のような自分がやるべきことという気がしています。

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