LIFE IS ART | interview
まちなかから美術館へ
影を投げ、心を動かす
志村信裕

2022年度に愛知県美術館は、志村信裕による映像インスタレーション
《ribbon》を新たに収蔵した。「あいちトリエンナーレ2010」の記録を残す
再現展示というチャレンジングな試みだけではない、光と影のある作品の魅力とは。
聞き手/愛知県美術館 館長 拝戸雅彦 撮影/千葉亜津子

志村信裕 Nobuhiro Shimura

1982年東京都生まれ。2007年武蔵野美術大学大学院映像コース修了。「あいちトリエンナーレ2010」に出展。16〜18年文化庁新進芸術家海外研修制度により、フランス国立東洋言語文化大学の客員研究員としてパリに滞在。近年では各地でのフィールドワークを元に、ドキュメンタリーの手法を取り入れた映像作品を制作。

《ribbon》は、23年度第1期コレクション展で公開(5月末終了)。「展示場所が変わると、ポジティブな意味で全く別の作品ですね。空間にリボンの影が広がり、作品に潜在していた動きの面白さが出ています」と志村。

愛知県美術館の設営には当時の長者町会場と同じスタッフが再結集し、波板をスクリーンにして風景を再現。

都市空間の中に光を当て、新たな視点を生む──

拝戸(以下、拝) まずは映像という表現を選んだ理由から教えてください。

志村信裕(以下、志) 僕が考える映像でしかできない表現の特徴の一つが光です。質量も厚みもないし、プロジェクターで投影するとどんな大きさにもなり、どこでも展示できます。モニターは基本的に使わず、何かに光を投げかけたいんですよね。その反射が作品になったり、反射が空間を変えることが自分の表現と言えます。

拝 プロジェクターに早くから注目した志村さんは、元々まちなか派ですね。

志 時代的にもアジアで90年代に芸術祭が動き始めて、日本では2000年代あたりから横浜トリエンナーレをはじめ芸術祭が盛り上がる時期に大学に入り、そこに飛び込んでいきました。20代で大学院修了後にデビューしたとき、美術館やギャラリーしか発表の場がなかったら、こんなに早く人前で作品を出せなかったので運が良かったです。東京駅でプロジェクションマッピングが行われて以来、そうした仕事のオファーも来るんですが、それは棲み分けで僕のやることじゃないなと思っています。自分がやりたいのは、みんなが本来気付かず注目していなかったものに光を当てることです。

拝 どういうものを映し出すかという工夫はありますか。

志 他の映像作家と違うのは、何を映したいかって先に決めないんですよ。どこに映せるかを考えます。プロジェクターを使い、どこに映したら自分の作品になるんだろうって。展示場所が決まってから、何を映すか逆算します。

長者町の景観に着目した身近なインスタレーション──

拝 《ribbon》も同様ですか。

志 そうです。下見で長者町エリアを回り、半日で庇(ひさし)に映そうと決めました。庇を見上げたときにすごい綺麗だったんですよ。それは電柱の電線がなかったから。戦争で被害を受けて復興時に電線を地下に入れたそうです。建築としても日差しや雨から積荷を守る大きな庇は、良いモチーフになるはずだと。

拝 名古屋でもなかなか残っていない風景です。庇は我々が目にしても話題になりませんでした。

志 東京で育ち、電柱の電線を見慣れている僕にとっては、新鮮だし違和感がありました。戦後のネガティブな産物かもしれないですけど、その街特有の景観に介入する意味でもチャレンジできたと思います。リボンのモチーフを選んだのは、やっぱり繊維に関係あるものにしたくて。当時の作品は日用品の色や質感といった造形に惹かれて、赤い靴やボタンなど誰でも見たことがある身につけるものを使っていました。今回のリボンはラッピングにも幅広い用途があります。繊維問屋街が栄えた華やかな時代を象徴させるだけでなくて、暗くなった夜だけ日常では見られないシーンを作ろうと思って、カラフルなリボンにしました。

志村信裕《ribbon》2010年(あいちトリエンナーレ2010展示風景)

過去を振り返り、想起させる映像の本質的なアプローチ──

拝 花火のようにリボンがひらひらして消えていくのが繰り返される。志村さんの作品ってある種の儚きものを丁寧に見せている感じがします。

志 見る人それぞれの感覚が僕の意図してないものなのが面白くて。モチーフとして撮影する日用品は新品ですが、作品を見て「懐かしい」っていう人が多いんですよ。作品を発表して人々の反応や感想を聞きながら思ったのは、映像の本質が過去を振り返らせたり、その面影を映すということ。活動初期の自己紹介では「光を当てる」と言ってきましたが、それだけじゃないなって。最近は「光」ではなくて「影を投げる」と言っています。投影された映像と鑑賞者の間に生まれる作用こそが、自分の作品なのだと思います。懐かしさや切なさ、記憶とかそういったことが活動を続けていくにつれて重要になりました。

拝 フランス・バスク地方で撮られた映像作品《Nostalgia,Amnesia》は、空気感や風景が鮮烈で綺麗な情景。まだ隠されている光というか、自然の中にある光と色彩を読み取る志村さんの感性が表れていました。

志 見る人の記憶を喚起させるように撮影していて、そこは共通するかもしれませんね。《ribbon》を含めて僕のインスタレーションのもう一つの特徴は、音を使ってないんですよ。そこも引き算というか。

拝 プロジェクションマッピングの逆。

志 なぜ音を消すかを一言で言うと、浮遊感を出したいんです。例えば靴が落ちる音を入れたら迫力が出ますけど、靴の重さとかが感じられてしまう。でも音を消すと、純粋に光だけが降ってくる。見る人によって重量感が違うかもしれないし、いろんなものを想像できる。表現は足せば足すほど豊かになると思われがちですけど、見る人の経験や感性にゆだねた方が面白いんじゃないかな。それができるのも美術の形式です。

拝 音なしって、基本的には不在というか身体性や重力がない死の世界。アナウンサーが突然何も言わなくなったら、何か起こったに違いないって普通は考えますし、メディアの中には存在しません。だから、サイレントは重要なんですよね。

志 《Nostalgia,Amnesia》では逆に音の喚起力を利用していて、今後も両方の作品を作っていきたいです。

《ribbon》の展示に合わせて、「イン・モーション」をテーマにした「動き」の感覚を生じさせる作品を紹介。

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