LIFE IS ART | interview
来春に特集展示を控えた
故・徳冨満とはいかなる作家だったのか

知覚と認識の間のちょっとしたズレや、物のかたちと同一性についての思索を、
鮮やかな手つきで提示するアーティスト、徳冨満。
2001年、35歳の若さで白血病によりこの世を去った徳冨について、学生時代からの友人たちに話を聞いた。
聞き手/愛知県美術館 主任学芸員 副田一穂 撮影/中村嘉昭

徳冨満 Mitsuru Tokutomi

1966年愛知県生まれ。89年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。96年から愛知県の奨学金でロンドンにわたるが、2000年末に白血病の診断を受け、翌年帰国。奈良美智企画「morning glory」(01)に参加、同年10月に逝去。没後も小山登美夫ギャラリーでの個展(06)、釜山ビエンナーレ(08)などで注目を集める。

Guest

美術史家、立教大学文学部教授。1966年愛知県生まれ。専門は中世キリスト教美術。徳冨とは東京藝術大学時代の同期生でバンドメンバー。

ミュージシャン。1966年岐阜県生まれ。東京藝術大学在学中から音楽活動を始め、96年『bonjour』でデビュー。徳冨とは大学時代のバンドメンバー同士。

画家、彫刻家。1959年青森県生まれ。河合塾美術研究所講師時代に徳冨と親交を深める。2001年「morning glory」展で病床の徳冨に参加を呼びかけ、広く作品を紹介。

画家。1966年愛知県生まれ。山梨県を拠点に制作を行う。河合塾美術研究所と東京藝術大学時代の同期生でバンドメンバー。ロンドン留学中の徳冨と一時期アトリエをシェア。

「人の目で外界を見ること」について
思考を巡らせる作家 徳冨満

徳冨満との出会いと 、 学生時代 ──

副田 みなさん、徳冨さんとの出会いは河合塾美術研究所(以下、河合塾)でしたか?

浅野 僕が河合塾に入ったときには徳冨くんは卒業してた。パンフレットに合格した人の作品として載っていて、すごいなーって。

加藤 そう、その年は河合塾から徳冨くんと福井くん含め4人現役で東京藝術大学(以下、藝大)の油画に合格した。

奈良 俺は河合塾で直接教えたわけじゃなくて、高校2年生のクラスで、現役で入った連中をアルバイトで呼ぼうよってことになって、福井とか徳冨に来てもらって、そこから仲良くなったし、影響を受け合った。その頃の徳冨はまだ全然何をやっていいかわかんない感じで、バンドをやったり、女の子と付き合ったり。

浅野 僕は藝大でバンドをやりたくて、面白い人はいないかなと思って軽音学部の練習室を覗いてたら、すごい変な音楽をやってる人たちがいて。それが徳冨くんと福井くんと加藤磨珠枝だった。そこに入れてもらったのが付き合いの最初。その後「のど自慢重役」っていうバンドを組んで。

周りを巻き込んで、アイデアを具現化していく──

福井 イギリスに行く前に、青山のスパイラルの公募で一千万取るぞ!みたいなのがあったよね[1]。模型を作ってプレゼンして、グランプリを取れば実現できるんだって。

加藤 私はキヤノンの公募[2]でテキストの英訳をちょっと直してって言われて。あれも同じくらいの時期じゃない?

浅野 その頃、メビウスの作品(《2D or not 2D》1993、豊田市美術館)をどこかの印刷屋さんが印刷してくれた。東池袋の小学校の門の前で、その仮組みを徳冨くんと東谷[3]と僕の三人でやってたな。穴がズレてて全然組めなくて、それを見て学校の清掃のおじさんが「頑張ってるなあ、お前ら将来何になるんだ?」って。徳冨くんと東谷が即答で「アーティスト」、僕が「えっと、僕は...」って口ごもったらすごく怒られて(笑)。

奈良 普通、何か思いついてもそれを現実化できるかどうか考えるじゃない。インスピレーションはどんどん湧くけど、やっぱりそこから切っていく作業は誰しもある。でも徳冨はその切る作業が他の人より少なかった。福井だってアイデアは浮かぶだろうけど切っちゃうでしょ?

福井 思いついたけどやらない、やらなくていい、とか。そうだね。

奈良 あとはちょっと面倒くさいとかね。でもその面倒くさいやつも、徳冨は人に頼りながら作り上げちゃうようなところがあった。

副田 メーカーに作品をいろいろと発注してますよね。周りを巻き込む行動力があった。

加藤 確かにそれは思った。人を探して折衝して実現するまで実はすごく手間がかかってるから、よくやるなーって。《Flying Carpet》(1994、愛知県美術館)は椅子の背もたれを作る家具メーカーにパーツを依頼して、すごい苦労したって言ってた。

[1]ワコールの複合文化施設スパイラルの提案で、シヤチハタが実施していた「ジャパン・アート・スカラシップ」(1990-99)。
[2]キヤノンが実施していた文化支援プロジェクト「写真新世紀」(1991-2021)。
[3]インディペンデント・キュレーターの東谷隆司(1968-2012)。

徳冨満《Flying Carpet》1994 愛知県美術館

ロンドン、沈思の時間──

奈良 その頃まではレントゲン[4]を意識してたり、スパイラルの公募もそうだけど出たい出たいって意識がすごく強かった。この年齢の若者なら当たり前かもしれないけど。それがロンドンに行ってからなのかな、熟考するようになった。

加藤 大学1~2年生の頃はどちらかというと内に籠る感じだったじゃない?それがある時から急に外に出て、制作もそういうスタイルになっていったのが意外だった。その後ロンドンに行って思想的に深くなっていく。

奈良 学者っぽくなっていくんだよね。それまでは手や体を動かして作る感覚が大きかったけど、ロンドンじゃなかなかそういう環境が持てないからか、どんどん考える方に入っていく。もうびっくりするような、地震とか津波のプロジェクトもやってなかった? その辺りからオリジナルなものがガーッと出てくる。いわゆる普通の藝大生から一人の作家になって、作品が立ち現れてくる。そういうタイミングでこの作家がこの世から消えてしまったのは、やっぱり残念だなって思う。

副田 ロンドンを留学先に選んだのはなぜでしょう?

奈良 80年代の終わりからヤング・ブリティッシュ・アーティストがガーッと評判になってたからね。ダレン・アーモンドの、天井にでかい扇風機が付いてて回そうとするとぶつかる作品[5]をロンドンで見たんじゃないかな。そういうのにすごい反応してた気がする。あとデヴィッド・シュリグリーのでかい吸い殻[6]が落ちてるのを拾って歩いたりしてね(笑)。

浅野 その頃、自分がやろうとしてたことがもうやられてて落ち込んだって話をしてたな。

福井 ロンドンでは最初建物の最上階の小さな角部屋にいて、だんだん大きなペインティング(unfinished paintingシリーズ、2000、愛知県美術館)を描くようになって、結構でかいスタジオに引っ越した。そこに俺も4か月くらい一緒に住んでた。向かいに材木工場があって、そこにべニヤを買いに行ってパネルを作ってたね。俺が二畳くらいのスペースを囲って、あとはみんな徳冨の作業場(笑)。

加藤 二人で描きながら何か話した?

福井 美術のことはなかなか喋らないよね。でも覚えてるのは、ロンドンで買ったイラスト入りの百科事典があって、ダムとか鳥の図解とか、そういう図を元にしていろんなパーツを組み合わせて絵の構想を練ってた。「これは誰にも見せらんない、ネタ元だから」って。今だから言うけど。

浅野 その頃僕はゲーム音楽に携わってて、島の地形をいじれるゲーム[7]で周りに海が広がってるんだけど、徳冨くんはその海に興味を持って、ゲームデザイナーに津波のモデリングかなにかを教えて欲しいって連絡があったな。

[4]レントゲン藝術研究所(1991-95)。徳冨と藝大で同期だった会田誠や小沢剛らが活躍していた。
[5]1997年のホワイト・キューブでの展示「ファン」。
[6]路上の吸い殻の中に特大の吸い殻を置く1998年の《Special Rubbish》。
[7]NINTENDO64用ゲーム『巨人のドシン』(1999、任天堂)。

徳冨満《untitled(unfinished painting)》2000 愛知県美術館

徳冨の存在を世に知らしめた展覧会「morning glory」──

副田 「morning glory」[8]の時には徳冨さんは入院されてたんですよね?

奈良 そう。ちゃんと展示されてるか不安で、病院のべッドから電話ですごく細かい指示がくる。俺は「作品自体がちゃんとしてんだから、そんなにこだわることはない!」ってずっと言い続けてた。

加藤 あの企画で奈良さん、すごくいいとこあるなーって見直した(笑)。徳冨くんが一番苦しい時間を過ごしてた時期だったから。

奈良 世の中的には知られてない作家を紹介したいなと思って。福井もそうだけど、みんな自分からギャラリー回りして見てくださいって言えるようなタイプじゃなくて、そういう人たちが取り残されてくのは嫌だなーと思って、企画した。

福井 あれがなかったら、俺も違う人生だったね。

奈良 そうだね。だから小山さんも後になって徳冨の個展をやってくれたし。

加藤 あれがあったから、今またこうして展覧会ができるんだしね。

[8]2001年、当時佐賀町(東京)にあった小山登美夫ギャラリーで、ドイツから帰国したばかりの奈良が企画したグループ展。発表の機会に恵まれていなかった徳冨、福井らを紹介。

■2会場で開催(会期は異なる)
愛知県美術館・豊田市美術館 同時期開催コレクション展
徳冨満 ──テーブルの上の宇宙

愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
2023年1月14日(土)〜3月14日(火)
時間/10:00〜18:00※金曜〜20:00(入館は閉館30分前まで)
休館日/1月16日(月)、2月6日(月)、2月20日(月)、3月6日(月)
料金/一般500(400)円、高大学生300(240)円、中学生以下無料

豊田市美術館
2023年2月25日(土)〜5月21日(日)
時間/10:00〜17:30(入館は17:00まで)
休館日/毎週月曜日(5月1日(月)は開館)
料金/一般300(250)円、高大学生200(150)円、中学生以下無料

※いずれも( )内は20名以上の団体料金

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