荒川修作《Blank Stations》1981-82、
メアリー・ダパラニー《編地のマット》2019 など

REVIEW 美術館 国際芸術祭「あいち2022」

青い「地図」からはじまる旅

アンネ・イムホフ《道化師》2022(旧一宮市スケート場)

芸術祭は旅である。大らかな祭りの賑わいのなかで、旅人(鑑賞者)の時空間は、切実な問題意識に揺さぶられる。多様な表象の断片は、脳内で反芻されて共鳴する。この旅には、教科書ではなく地図が必要なのだ。

冒頭に用意された作品(地図)には、[UTOPIE]の文字。「あいち2022」をめぐる旅路には、秀逸な企図と配慮が尽くされており、その導きで意識を研ぎ澄ますと、予期せぬ悦びが満ちていく。世界の紛争や災禍も不条理にも、まずは理想郷(ユートピア)を念頭において向き合ってみよう。

祭りが掲げたのは滲む緋色。戦火や流血や心臓への連想、慈愛と幸運の象徴と呼応して、絡まる糸や猩々の色が目をひいた。一方で青に満たされた展示空間も圧巻だった。さらに抑留や核実験など壮絶な負の歴史に重ねた、碧い海の映像やコバルトブルーのガラスの輝きが目と心に沁みる。恐ろしいまでに美しい、その両義が作品に通底していた。

編み紡ぐ技の霊性。愛知県美術館蔵の大作観念絵画が、これほどまでに生き生きと愉しく見えたことがあっただろうか。アボリジナルの人々が織りなす世界観と交信して、絵画の図形が踊り出しそうだった。また愛知の繊維文化と歴史にじっくりと対峙したプロジェクトは、力強い造形作品として結実した。特に、羊皮と羊毛で編まれた落下傘は神々しくもあり、多層的な意味の構築と造形には、祭りとしての誠実が見受けられた。

祭祀では死者との対話を通じて地霊が呼び覚まされる。綿埃や糸が舞う情景や、明治期の彫刻家の亡霊も愛らしく映った。そして幻肢痛の治癒に鏡像を用いる示唆は、視覚芸術の存在意義にも通じ、歴史の欠損や痛みに向き合う作法を考えさせられた。サイバー空間で行方不明になった青年が父を求める物語もしかり。このSF映画の終盤に流れた歌は、切ない「ムーン・リバー(月光河)」だった。

クライマックスは月への旅だ。VR作品では人類最後の一人になって、ロバに跨って月を彷徨うことに。はたしてそこはユートピアなのか。仮想空間でのシニカルな体験を経てエピローグへ。この地上でコロナ禍の孤独を分かち合う人々は、息を殺すように踏みとどまって、そして月を想う。

祭りの副題にある「今、」の読点がいい。そこには、切実なひとつの呼吸があるのだから。

REVIEWER 高橋綾子さん

美術評論家・名古屋造形大学教授。芸術批評誌『REAR(リア)』編集メンバー。

国際芸術祭「あいち2022」
STILL ALIVE 今、を生き抜くアートのちから
2022年7月30日(土)〜10月10日(月・祝)
主な会場/愛知芸術文化センター、一宮市、常滑市、有松地区(名古屋市)
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REVIEW 劇場 モーツァルト作曲 オペラ『バスティアンとバスティエンヌ』
羊飼いと村娘の恋の行方は?

大天才はやっぱり神童だった


少年モーツァルト作曲の愉快なジングシュピール(歌芝居)『バスティアンとバスティエンヌ』が6月12日、愛知県芸術劇場小ホールで上演された。愛知県芸術劇場プロデュースによるこの小オペラは4年前の2018年に初演され、溌剌(はつらつ)とした演奏、新鮮な演出が評判となった。今回はその再演。台本、演出家、指揮者、オーケストラは初演時と同じ、ダブルキャストで計6人の歌手たちのうち4人も変わらなかったが、昼夜2回の公演は初演を上回る出来栄えだった。

プログラムでは、まず「少年モーツァルトの妄想」と題し、12歳のモーツァルトがベッドで恋を夢想する物語仕立ての小篇が置かれた。『魔笛』『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』といった後年の傑作オペラからのナンバーなどが演奏され、モーツァルトの世界に引き込まれる。

お目当てのジングシュピールは「自然に還(かえ)れ」の哲学で知られる18世紀フランスの啓蒙思想家ルソーの牧歌劇『村の占い師』をもとにし、歌(アリアや重唱)を台詞がつなぐ1幕物だ。物語の舞台はイタリア・コルシカ島。羊飼いの娘バスティエンヌは恋人バスティアンが近頃冷たいと気をもむが、占い師コラーの助けで2人は仲直りするという単純な筋立てだ。歌は原語のドイツ語、台詞は日本語で字幕が付き、わかりやすい。大山大輔の台本、歌手たちの若やいだ歌や演技、恋人たちの心理の移ろいを軽やかに舞台化した太田麻衣子の演出が一体となって、生き生きとした命を吹き込む。羊のぬいぐるみを着た指揮者の角田鋼亮、メーメー鳴き声を上げる愛知室内オーケストラの面々の動きも軽妙だ。出演者の息遣いさえ感じ取れる小ホールの特性が生きる。

後年の傑作オペラを予感させるアリアや重唱たち、フィナーレで素晴らしいクライマックスが築かれるジングシュピールを観終わると、「ここには紛れない神童がいる。温室育ちでなければ、きっと彼は音楽史上最高の天才へと成長し、『魔笛』を生み出すにちがいない」と予言したくなる、そんな愉悦感が沸いてくる公演だった。

REVIEWER 早川立大さん

音楽ジャーナリスト。共同通信社在職中「音楽ブラリ聴きある記」執筆、名古屋音楽ペンクラブ会員。

モーツァルト作曲 オペラ『バスティアンとバスティエンヌ』羊飼いと村娘の恋の行方は?
2022年6月12日(日)
場所/愛知県芸術劇場小ホール(愛知芸術文化センター地下1階)
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