REVIEW 美術館「ミロ展─日本を夢みて」

ミロと日本の終わらない物語

「展覧会は物語のように構成すべし」とは、かつてベテラン学芸員からもらった助言だが、今回のミロ展が来場者の心に残る印象深い物語を描き出したのは間違いない。

ジャポニスムが流行するバルセロナに始まり、パリでのシュルレアリスムとの出会い、戦争を背景とした不遇の時代を経てついに来日を果たすクライマックスまで、ワクワクしながら展示を見た。来日の余韻が響くモノクロ―ム作品やアトリエに残された日本の品々はしみじみとしたエピローグだ。

会場では、ミロと日本の関係を多角的に検証するよりも、ミロの側から見た日本の姿を最大限の解像度で見せることに重点が置かれていたように思う。冒頭の「ちりめん絵」とその丁寧な解説一つを取っても、日本の文物の手触りや風合いに惹かれた画家のまなざしを一人称カメラで追体験するような臨場感だ。最新の研究成果に基づきながら、初めてミロの芸術に触れる人にも親しみやすい画家像がそこにあった。

そんな展示を補足して余りある充実の図録をめくりながら、様々な問い―ミロからの日本の芸術家への影響は?戦後の伝統文化再考とミロ受容の関係は?など―が浮かんでくるのは、本展を確かな参照軸として今後のミロ研究がなお発展していくことを期待させる。また、本展が詳らかにしたミロと日本の関係は、単純な影響関係以上の、時代ごと、作家ごとに異なる東西往還の力学があることを改めて示し、19世紀後半の視覚芸術を中心に進められてきたジャポニスム研究の射程を広げ、深化させる可能性も感じさせる。

展覧会初日、ミロの日本滞在以後、国内の美術館に徐々に収蔵された作品たちが一堂に会し、多くの子どもたちが不思議そうに眺めていた。ミロと日本の物語はこれからも紡がれていく、そんな風に感じた。

REVIEWER 貴家映子さん

静岡県立美術館学芸員。専門はナビ派を中心とするフランスの近代美術。

ミロ展──日本を夢みて
2022年4月29日(金・祝)~7月3日(日)
場所/愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
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REVIEW 劇場「サウンドパフォーマンス・プラットフォーム2022」

人の存在が生み出す音楽・音の時間・音そのもの

ゲストアーティスト:伏木啓 + Collaborative Artists©Naoshi Hatori

公募アーティスト:村田 厚生・池田 拓実・磯部 英彬

「サウンドパフォーマンス」とはジャンルではなくキーワードだ。出演者はそれをどのようなアプローチでどう解釈するかが本公演の見所である。

出演した六組中、音楽的なアプローチを採ったのは二組。センサーが付けられたトロンボーンの動きにコンピュータ音が連動した村田厚生・池田拓実・磯部英彬「モーション&エフェクト」の開放感溢れる作品と、ガムラン楽器の鍵盤を独自の円形楽器に仕立てたBenda Putar「Sar/on rails」。後者では二人の奏者が回りながら叩くのと並行して鍵盤が随時入れ替えられるため、音の変換プロセスが味わえる。二組とも動きから音への帰結が明瞭である。

身体表現からのアプローチ作品は、伏木啓+Collaborative Artists「The Other Side – Feb .2022」(ゲスト作品)とレトロニム「ルーム・ダビング」。前者は演者による声と行為がスピーカーとプロジェクターからは遅れて知覚され、その距離感が交錯し観客の脳内タイムラインを撹乱させる。後者は室内で起こる生活音をオノマトペによる一人芝居で驚くほど多様かつユーモラスに表現。オノマトペは演技に先行し、観るものの想像をかき立てる。どちらも音にどのような機能を持たせるかという視点が核となっている。

終焉を迎える人体内の音を、華山萌「The Act of Before and After the Demise」は赤い液体や内臓を模した樹脂の揺さぶりでもって疑似再現する。ASUNA「Chocolate, Candy & Drops」(ゲスト作品)では一組の男女が食事をする食卓が楽器となる(ラムネが皿に落ちる、ナイフで擦られる銀紙が電子音のスイッチとなる、等)。この第3のアプローチは「状況の提示」であり、目立つ行為がなくとも音は存在することを見事に「パフォーマンス」に昇華した。

「音」が人の存在や思考と不可分であることを、どの作品も強度をもって示していた。

REVIEWER 山本裕之さん

作曲家、愛知県立芸術大学教授。現代音楽アンサンブル「音楽クラコ座」の企画運営を行なう。

サウンドパフォーマンス・プラットフォーム2022
2022年2月27日(日)
場所/愛知県芸術劇場小ホール(愛知芸術文化センター地下1階)
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