布を用いた立体作品やインスタレーションで
愛知の美術界を牽引してきた庄司しょうじさとる

2022年4月1日(金)からコレクション展の一室で「庄司達/新聞紙」が始まった。
長年、第一線で活躍し、精力的に作品を生み出し続ける美術家・庄司達の、時代を越えた強いメッセージを今の若者へ―。
作品が生まれた背景や、今回の展示に対する思いを聞いた。
聞き手/愛知県美術館 主任学芸員 石崎尚 撮影/中垣聡

庄司達 Shoji Satoru

1939年京都府生まれ、愛知県名古屋市育ち。京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)専攻科彫刻専攻修了。名古屋市立工芸高校にて教員となる。68年頃より、緊張と弛緩、空間への広がり、環境への影響力といったことに意識を向けた布による作品を制作。名古屋、京都での個展活動を中心に、現代日本美術展、日本国際美術展などにも出品し、布を扱う作家として知られる。

〈新聞紙〉と関連する作品

《赤い布による空間 野外'69-2》1969年

1969年9月「赤い布による空間」(桜画廊)にて

庄司達 インタビュー

石崎(以下、石) この〈新聞紙〉の作品は、日本国際美術展の第10回として開催された1970年の「人間と物質」展で発表されました。当館が「赤」《新聞紙30枚に四角の孔を残して赤く塗った新聞紙》と「白」《コピーした新聞紙の上の一部に本当の新聞紙を貼った52枚の新聞紙》を入手したかったのは、「人間と物質」展が、愛知県文化会館美術館(愛知県美術館の前身)に巡回していたからなんです。それを当館でぜひとも展示したいと思っていました。

庄司達(以下、庄) 僕は、愛知県美術館にこれが入ったことがとても嬉しいし、意義があると思います。決して若気の至りではない作品になっていると思うので、収蔵にふさわしい作品ではないかと思います。

石 52年ぶりに「赤」と「白」すべてが並んだ様子をご覧になっていかがですか。

庄 期待しない方が良いと思っていたんですが、予想以上に完成度が高く、とても満足しています。あとは若い人たちが見て、どのように感じるか。僕も52年前の制作当時は31歳の若者だったと考えると、当時の若者と今の若者が、この作品を介してどう向かい合うのか。若い人たちの実験的な創作活動と、どこか重なるのではないかと思います。当時の僕が作ったけど、ある意味で、今は僕も観客の一人。実は、この作品は突然出来たわけではなく、予兆になる作品を作っているんです。例えば、「野外彫刻展」(1969年)の作品(A)や、同年の個展での作品(B)など、この作品に至るものや造形的に似通ったものが出てきていた。それがここで一貫したかたちに出来たと思うので、その後の僕を予見している仕事になっていたんじゃないかと思う。

作品に込める思いや、社会に対する意識とは―

庄 わかりやすい作品ではないですよね。当時もそう言われました。新聞は、紙という材料と情報との間に駆け引きがあります。僕の作品は紙という物質を超えた、情報を操作した作品ということで、「人間と物質」展企画者の中原佑介さんも、善し悪しは別として、展覧会の中心的な作品ではないと考えていたと思う。だから評論家の瀧口修造さんが中原さんに、「庄司さんの作品はどうだったの」と聞いたとき、中原さんは「よくわからん」と。そこで僕が「そんなことありませんよ。わかりやすい作品ですよ」と切り返したのを覚えています。

石 当時の庄司さんには、たとえわかりにくい作品だとしても出品したいという気持ちがあったんですよね?それは何故でしょう。

庄 世界や日本の社会全体が非常に動揺していた当時、自分は芸術家として、自分の芸術で積極的に社会に切り込まなければいけないという思いがありました。その中で出てきた白い布の空間表現で、世間がそれなりの評価をしてくれたけど、まだ、ずば抜けて社会に切り込む仕事ではないと思った瞬間、一旦停止。切り替えが早かったのも若かったからだと思う。一度、布にしがみつくのは止めようと思って、こういうグラフィカルな作品になっていった。その時点で招待された「人間と物質」展を、怖いもの知らずにも自分の実験の場にしちゃった。しかし、今考えると、この作品を見ていると真っ当な仕事だったんじゃないかとも思う。

石 現代の鑑賞者からすると、昔の新聞が持つ情報がとても強いです。

庄 「赤」は、よりシンプルな僕の世界です。「赤」は非常に表現性があるよね。「白」は表現性よりも情報という奥行きがあるから、みんなすぐ記事を読んじゃう。

石 それは庄司さんの作品を見ていることになるんでしょうか。

庄 なるんでしょうね、誰もやっていないから。結局、今まで誰も新聞をコピーして、それに関わることをしていない。本物の新聞をここにピタッと合わせて貼ると、空間の微妙な奥行きが「赤」とは違うかたちで出ています。「白」は情報がバーンと出てくるけど静か。「赤」は全体をグッと色で抑えてしまって、四角いところの情報に対して、見る人の願望が出てくるでしょう。この戦い方の違いが僕らしいと思います。

石 試行錯誤をする中で、情報の見え方や切り取り方として、一面の中央の位置がベストだったんですね。

庄 それと僕は政治欄に非常に強い関心があった。1960年代から70年代にかけて、第3次世界大戦になるんじゃないかと思うことが次々と起こり、当時の若者としては、一面の真ん中を奪うべきだと思ったんでしょうね。

石 その後の庄司さんの作品を見ても、こういったかたちで社会や国家への意識が出ているものはないですよね。非常に例外的で珍しい作品だと思います。

庄 ここまではっきりしたものはないですね。当時はもう、ベトナム戦争、カンボジアの虐殺、中近東の情勢などいろんな緊張が襲ってくるし、沖縄も返還前で、これから日本がどうなるのかという時期だった。何かのかたちで作品の中に社会や国家への意識が立ち現れないと、と思っていたけれど、これはそれが非常に素直に出た作品ですね。

「人間と物質」展に出品した背景―

石 「人間と物質」展が終わってすぐ、庄司さんは「ヨーロッパ彫刻家シンポジウム」のため、オーストリアのザンクト・マルガレーテンに行きました。1970年という年は図らずも、庄司さんにとって、すごく国際色の強い年になりましたね。

庄 オーストリア在住の藤原信君から誘われて、5人の作家グループでシンポジウム(公開制作)に参加しました。皆で一週間話し合った結果、会場の石切場の丘に一本の線を引くように溝を彫ったんです。当初の私の役割は話し合いを記録して、意見やアイデアをまとめることだったんですが、結果的に私もローマ時代からの道具を使って手で彫りました。実は、「人間と物質」展は最初お断りをしたんです。野外での活動に興味を持っていたので、中原さんに「野外に展示できないんですか」と聞くと、「基本的に野外は展示に使えない」と言うから、僕は「野外でプロジェクトが組めないんだったら興味がありません」と言った。けれど、2月に峯村敏明さんから出品招待状をもらったときには「白」の実験をしていて、「何か大仕掛けなことがやれるな」と考えて出品を受諾しました。

赤色が多く使われるのは“強い印象”だから―

石 赤色はその後も気に入って何度も使っていますね。好きな色なんですか。

庄 好きではなくて、どこか強い色だからですね、赤は何かを抑えつける力を持っている。赤い布を使ってインスタレーションするときも、明らかに強いかたちでその空間に存在感を示す。白い布の場合は、空間表現には適していますが、そういう存在感はない。赤い布は空間表現よりも、表面の強さや、かたちの強さがあり、空間に強い誘導性というか、見る人たちへの説得力を与えてくれる。そう考えて、赤い布を使い始めたんでしょうね。

左/愛知県美術館 主任学芸員 石崎尚、右/庄司達。
《コピーした新聞紙の上の一部に本当の新聞紙を貼った52枚の新聞紙》(1970年)の前で。

2022年4月1日(金)~7月3日(日)開催
2022年度第1期コレクション展 展示室7「庄司達/新聞紙」
場所/愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
時間/10:00~18:00※金曜は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休館日/毎週月曜日
料金/一般500(400)円、高大学生300(240)円、中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体料金
※「ミロ展─―日本を夢みて」のチケットでもご覧いただけます。

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