令和2年度新収蔵作品《Breakthrough Drawing》2014年 インク、板

目を瞑り、身体を預けることで心の葛藤を解放するパフォーマンス・アーティスト
愛知県美術館所蔵作家 パフォーマンスアーティスト・村田峰紀 インタビュー

新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、作品発表の場が減っている若手作家やアーティストを
支援するため、愛知県は美術品等取得基金に特別枠を設け、2020年から3か年にわたり作品を購入している。
今回はその特別枠で購入した《Breakthrough Drawing》の作者・村田峰紀に、制作についての話を聞いた。
聞き手/愛知県美術館 主任学芸員 副田一穂 撮影/中垣聡

村田 峰紀

1979年群馬県生まれ、前橋市在住。2005年多摩美術大学美術学部彫刻学科卒業。原初的な「かく」行為を通じてドローイング制作やパフォーマンスを行なう。主な展示とパフォーマンスに、10年「あいちトリエンナーレ2010」、15年「VOCA展2015」、16年「Think Tank Lab Triennale, TWO STICKS」ヴロツワフ建築美術館(ポーランド)、19年「International Performance Art Biennale in Vancouver」Ground Floor Art Centre(カナダ)など。

村田さんとは、2009年の「うしろの正面─アーティストたちの誠実な遊戯」に参加いただいてからのお付き合いですね。その頃から一貫しているのは、目を瞑ったり背中をカンヴァスにしたりして、描く自分の手が見えない状態での制作でした。

僕の作品は基本的に文字をかき消す動きなんですよ。だから文具を想起させるような画材を使う。何かを描くんじゃなくて消すんなら、身体の赴くままに、身体で考えることができる、みたいなところがあって。そのための方法として、目を閉じている。

合板に何度もボールペンを走らせ、穴が空いている。

かき消す動きが前提で、結果として視覚がいらなくなってるんですね。でも、なぜ文字を消すんでしょう?

今はこうして喋ってますけど、小さい頃からどもりが酷くて、言葉へのコンプレックスが強かった。それに向き合ったときに、言葉を消すことを始めました。たとえば辞書を使ったパフォーマンスは、言葉の意味を集約したものを、かき消す行為によって意味のないものに変えることだし、テレビにドローイングするのは、そこに送られてくる情報を、意味のないものに変えることなんですよ。破壊することで、別のものに生まれ変わる、という。

体系的な言葉のシステムの運用に対するアクションなんですね。ということは、絵を描いているとか平面作品をつくっているという意識はゼロですよね。

ゼロです。絵を描いている感じはない。ただ制作となると、アトリエで自分自身に向き合いながら描くことになるわけで、物や情報を見ずにはいられなくなるんですよ。見るっていうのは考えたり意識したりすることだから、描いてる最中にイメージがどんどん浮かんできてしまうので、そうならないところで止めるようにしてます。

今回愛知県美が購入した作品は、パフォーマンスがあって、その結果としてできあがったものなんですか?

そうですね。一番最初に合板に描きはじめたのが、2013年だったかな。社会に対して手も足も出せない状況を想定して、合板で箱をつくった。そこから頭だけ出してもがくっていうパフォーマンスで。でもやってる最中になんか違うなと、やるべきはこの規制をぶち壊すことなんじゃないか、と思って、箱の内側にボールペンでドローイングしはじめたんです。そしたら7日間で真ん中に穴を空けることができて。その後に制作した愛知県美の作品は、部屋を真っ暗闇にして、ほんとに何も見えない状態で描きました。

2009年に愛知芸術文化センターで行なったパフォーマンス「背中で語る。」。

突き破るべき壁のイメージですね。突き破ること自体が制作の目標になるんでしょうか。

テレビを突き破るのは、テレビという「もの」を壊したいわけじゃなくて、テレビの持ってる情報受信機というコンセプトを突き破りたい。板にしてもそういうことだと思うんですよね。ただ板を破りたいんじゃなくて、目の前にある規制みたいなものを突き破りたいんです。

そうやって制作しているとき、村田さんの中にある感情って、「怒り」なんですか?

怒りではないと思うんですよね。むしろ頭は冷静で、身体に預けてる感じ。本当に集中したときは、自分の身体から離れる、自分を俯瞰して「やってんな、自分」みたいな感覚も、ごくたまにあります。

身体に預けるというスタイルを考えた時に、いわゆる美術と、身体芸術、つまり舞台に近い世界との境界というものは意識しますか?

うーん、身体を基盤にしてはいるけど、結構グレーな感じですね。ギャラリーで展示するときはパフォーマンス・アーティストですと言って、舞台に上がると舞台の人間じゃないみたいな、どっちでもない感覚はある。何をしてるのかと訊かれたら・・・何してんですかね(笑)。絵画や彫刻への憧れもあるので、なんとも言えない。

絵画や彫刻への憧れ、ですか。

そう。パフォーマンスを「定着」させるための方法ってなんだろうな、と考えたときに、絵画とか彫刻とか、そこにあり続けられることってすごい強みだなと思って。パフォーマンス・アーティストとしてそういう風にあり続けることってどういうことなんだろうな、と。ずっとやり続けるっていうのも一個の答えだけど、15分だったらしっかり見てもらえるけど8時間だったら誰も見てくれない(笑)。

なるほど、パフォーマンスの「痕跡」じゃなく「定着」なんですね。

そういう意識です。今後の保存とか考えたらどこまでもつのかわかんないけど、定着の時間をどれだけ伸ばせるかということは考えますね。そういうことを考えるようになったのは、たぶん2013年に前橋に戻ってからなんですよね。地元ってこともあるし、腰を据えるじゃないけど。で、14年くらいに、パフォーマンスの痕跡以外の「もの」を作り始めた。今回の作品も14年作で、長時間向き合った最初の作品です。

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