オペラハウスの奇蹟
一般には識られていないことかもしれないが、優れた歌手がピットにいるオーケストラを豹変させてしまうことがある。そしてこれには、老練な指揮者ネヴィル・マリナーの証言もある。「それはめったに起こらないが。」と断わったうえでマリナーは、「優れた歌手がその実力を発揮し始めると、オーケストラは、「おや、いつもと違うぞ。こいつはすごい。・・・・すごいことが起こっている。」と感じ始める。」、たとえそれまでバラバラだったとしても、「そして、全てが変わるのです。」と語っている。
歌手にとってのオペラのライブ性とは、極言すれば連続する一音一音を、歌唱上の正確なフォームで歌わなければけっして美しいメロディーラインを再現できないことにある。舞台上で進行していることは、例えばリモコン・スイッチを片手に観たくないところを飛ばしながらレーザー・ディスクを観るのとは全く違うのである。オペラハウスでは、最初の音のフォームを間違えたとしても立直ることができる。実際に、先行するアリアでトチッタために今一つ調子に乗れない歌手が、ベテラン実力派歌手との重唱の中で、先輩の優れた歌唱を聴いているうちに、歌の正しいフォームを思い出して、以後見事な歌を聴かせてくれることもある。
そんなオペラハウスの奇蹟の一つを、輝かしい伝統を誇るローマ歌劇場の歴史の中にも見出すことができる。それは、1958年1月のシーズン開幕公演に起こった。演目はベッリーニの<ノルマ>、タイトルロールには自他ともに最高の当たり役と認めるマリア・カラスが予定されていた。大統領をはじめとして全ての観客がカラスのノルマを望んでいたので、突然の声の不調を訴えたカラスの降板要求は、ドクターストップがかかったにもかかわらず、代役起用が不可能という理由を楯に聞き入れられなかった。しかたなく舞台に上がったカラスは、第一幕だけは精神力と昔楽性でなんとか乗り切ったが、第二幕は降りてしまった(その時の録音で判断するならカラスの声の調子はとてもノルマを歌える状態ではなかった)。この降板事件は、スキャンダラスに報道され裁判ざたにまでなったが、若手有望株アニタ・チェルクェッティが代役で呼ばれ、この大役を見事に果たしたのである。
彼女の歌唱は、聴く者の心の琴線を震わせて止まない正しいフォームで歌われたイタリアの正統のベルカントであ
り、この舞台に上がった合唱団員たちを涙させたほどであった。チェルクェッティの奇蹟は、カラス一色の当時の音楽界が忘れかけていたイタリアの歌の伝統の素晴らしさを再認識させてくれたことにある。そして、オペラハウスのライブのスゴサは、これらの奇蹟の数々とともに現代に至るまでオペラ上演史に彩りを添え続けてきているのである。
(J.N)
椿姫 La Traviate
幕間に外に出ると、
私たちは廊下で一人の背の高い女とすれちがいました。
すると、友達はその女に挨拶しました。
「今、君が挨拶したのはだれだね。」と私はたずねました。
「マルグリット・ゴーチェさ。」
(デュマ・フィス作「椿姫」、吉村正一郎訳
岩波書店刊[岩波文庫]より)
オペラ<椿姫>の原作は、A.デュマ・フィスの小説「椿の花を待つ女」。主人公マルグリットのモデルは、愛称をマリー・デュプレシスという実在した高級娼婦。デュマは、このヴァリエテ劇場(テアトル・デ・ヴァリエテ)で彼女と初めて出会い、恋に落ちた。写真は、パリに現存する同劇場のホワイエ内部。当時の華やかな雰囲気を今も伝えている。
トスカ Tosca
オペラ<トスカ>の第三幕の舞台となったローマの有名な旧跡、サン・タンジェロ城。現在では観光に欠かせないポイントであり、石畳でできた簿暗い階段を上り詰めて到達する屋上の歩廊からは、バチカン市国のサン・ピエトロ聖堂をはじめローマの名所旧跡が一望のもとに眺められる。この歩廊で、画家カヴァラドッシが銃殺され、彼の死を知った恋人の歌手トスカが飛び降り自殺したこのオペラのドラマティックな舞台を提供している。
ヴェルディ作曲 歌劇 <椿姫(ラ・トラビィアータ)>
開演:9月11日(日)3:30PM
9月14日(水)6:30PM
プッチーニ作曲 歌劇 <トスカ>
開演:9月13日(火)6:30PM
9月15日(祝・木)3:30PM
ローマ歌劇場のクーポラ(円天井)は、この歌劇場の内部装飾の中でも特に人々の称賛を集めているもののひとつである。その中心部に描かれたアンニバーレ・ブルニョーリによる天井画には、諸芸術を司る神々のアレゴリー(寓意像)が戯れ、空を駆ける姿が見られる。写真は、このクーポラを平土間席から見上げたもの。
写真/木之下 晃&登茂枝
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