アルルのファン・ゴッホ、ゴーギャンとジャポニスム
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)は、1886年3月、オランダ、アントウェルペンからパリに出て、ゴーギャン、トゥールーズ=ロートレック、ピサロらとの交友から日本美術への関心を深めた。その熱狂ぶりは、<タンギー爺さん>の背景一杯に描き込まれた浮世絵にうかがうことができるであろう。2年間のパリでの生活の後1888年2月ゴッホは、南仏アルルに移り住んだ。その理由については、彼自身の言葉が参考になるであろう。
「僕たちは日本の絵が好きで、その影響を受け、全ての印象派の画家はみんなそうだというのに、どうして日本へ、つまり日本に相当する南仏へ、行かないでいられようか。だからぼくは、まだ何といっても、新しい未来は南仏にあると信じているのだ。」
ゴッホは当時手に入れることのできたわずかな情報から、理想境としての日本のイメージを案出した。日本人は明るい光に満ち溢れた自然の中で暮らし、信仰深く思慮深い芸術家たちが兄弟愛に支えられて作品を交換し合っていると考えたのである。素朴な社会主義者タンギー爺さんを、浮世絵が象徴する日本的環境のなかに描き出したパリ時代の<タンギー爺さん>(挿図)には、そうしたファン・ゴッホの理想が投影されていることが指摘されている。その後彼は、彼が理想とした「芸術を愛する−修道僧」のイメージを日本の僧侶の姿に託したと言われる<坊主としての自画像>をゴーギャンに贈り、アルルの彼のアトリエ「黄色い家」に彼を招いて現実の芸術家共同体の結成を夢みた。
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広く知られているように、10月末から始まったファン・ゴッホとゴーギャンの共同生活は、2ヶ月余りで行き詰まる。前者は精神の異常をきたして耳切り事件を起こし、後者はアルルを後にパリヘ旅立つことになる。
ところで、ポール・ゴーギャン(1848-1903)はアルルにやって来る数ヶ月前に美術史上時代を画する<説教のあとの幻影、あるいは天使とヤコブの闘い>(挿図)を完成していた。近景と遠景とを強く対比させる手法と、平坦な色面と明確な輪郭線の便用とは、友人ベルナールの影響に加え、浮世絵からも想を得たものと考えられる。実際、遠景の二人の格闘者は『北斎漫画』から借用されたものである。さらに彼の独自性は、画面を斜めに横切る木の幹の向こう側に非現実の幻影の光景を描き出すことによって、画面上の遠近と象徴的な遠近を重ね合わせたところにあると言われている。
「シカゴ美術館展」に出品される<アルルの老婦人>にもそうした様式化や対比構図を見ることができる。この作品はアルル滞在中の11月半ばに制作されたもので、ここに描かれた情景は「黄色い家」の近隣の公園である。前景には植え込みと柵が切り取られ、身体を丸くする二人の女性がこちらに向かって歩んでいる。
このゴーギャンの<アルルの老婦人>と並行して描かれたと考えられ、画面構成が類似する作品に、ファン・ゴッホの<アルルの散歩道、エッテンの庭園の思い出>(挿図)がある。ここでも前景に二人の女性がクローズアップされ、下半身が切断されている。両者に見られる四分の三正面で描かれた女性の提示法は、たとえば<タンギー爺さん>の背景に描かれた美人画に見られるような、美人画や大首絵に典型的なもので、ここにも浮世絵の影響を見ることが出来るかもしれない。
また、この作品はゴーギャンのファン・ゴッホに対する「想像で描け」という指示にしたがって描かれた実験的な珍しいもので、ファン・ゴッホは「確かに想像で描かれた事物はより神秘的な性格を帯びる。」あるいは、「僕が感じるままの庭園の詩的な性格と様式を表現した。」と述べている。
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ファン・ゴッホとゴーギャンの作品を比較してみよう。その一見するとよく似た画面構成には重大な相違がある。
まず、前者の作品では明るい色で描かれた遠景から近景へと続く散歩道が左端の末妹ウィレミーンと彼の母と思われる二人の女性へと無理なく接続している。ゴーギャンと同じ対比的な構図ながら、遠景は幸福な過去を象徴し近景との齟齬は見られない。
一方、色鮮やかでありつつもメランコリックな雰囲気のただようゴーギャンの作品では、もの悲しげな二人の女性が遠方からこちらへ走る散歩道から外れるように歩んでいる。とくにこの作品で注目されるのは、二つ一組の一対の形象が遠景からリズミカルに三つ配されていることである。遠方には二人の女性が肩を並べて歩み、中景には円錐形の藁の覆いが二つ距離を離して配されている。
この作品については、作家自身の言葉が残されていないため、描かれたもの自体が持つロジックから作品の解釈を試みねばならない。いささかうがった見方であることを承知の上で、これらの三組の形象からファン・ゴッホとゴーギャンとの間に存在していた心理的な距離の過去から現在までの変遷の投影を読み取ってみよう。もちろん、表向きはアルルの老婦人が描かれているのであり、また、より普遍的に人類が置かれた孤独な状況が重ね合わされていることは疑いないわけであるが、近景と遠景との断絶感の中にはたとえ無意識であっても個人的な状況が重ね合わされているように見えるのである。
すなわち、この中景にきわめて大きな存在感をもって描かれた奇妙な二つの円錐、これは二人の強烈な個性の接点の無いままの対立状態を暗示しているのではないだろうか。遠景の二人組に象徴されるアルルで再会した二人の友人は、手を取り合い共に歩んだ道からいま正に離脱しようとしているのである。ファン・ゴッホの作品の近景には花が咲き乱れ、ゴーギャンの作品にはばっさり切り取られた植え込みと赤い棚が描かれていることは示唆的である。言い替えれば、共同体の結成からその内部での対立、そして共同体の断念がこれら三つの形象に予感されているのである。ゴーギャンの作品の中で最も抽象的なもののひとつであるこの作品には、ゴーギャンの次弟に増大した心的な葛藤がかろうじて昇華して封じ込まれているのである。
実際現実生活では、この二人は芸術的な考えの相違からしばしば衝突していた。ゴーギャンは次のように述べている。「概して、フィンセントとぼくはほとんどの話題で、とりわけ絵画については合意できない…。彼はロマンティックで、ぼくは事物の始源的な状態に心をひかれる。絵の具について言えば、彼はモンティセリが用いるようなでたらめの厚塗りを評価するが、僕は筆触をいじり回すような塗り方は大嫌いだ。」
このように<アルルの老婦人>は、ファン・ゴッホとゴーギャンという類稀なる強烈な個性の持ち主の衝突と、浮世絵が刺激したジャポニスムの複雑な脈絡のなかで誕生した作品なのである。
(H.K)
主要参照文献
「ゴーギャン展」図録 東京新聞 1987年
「ゴッホと日本展」図録 テレビ朝日 1992年
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