<先鋭>
「(幾何学的による自然学は)哲学者達に固有の遠く離れた相違なる事物に類似的関係を見る能力を生徒に閉ざすことになる。先鋭で修辞に富むあらゆる話法の源泉と要諦とみなされているその能力をである。というのは、精密さと先鋭さは同一ではないからである。」
ジャンバッティスタ・ヴィーコ(1668-1744)
「学問の方法」1709

イタリア、ナポリ出身の哲学者であるヴィーコは、幾何学と数学をモデルとする、曖昧なものを徹底的に排除し、精密な観察から明証で単純な形式に還元していくデカルト主義に対して、人間の精神が生み出してきた過去の歴史、人間社会、文学にはそうした還元主義とは異なる方法で目を向けることを主張した。つまり、自然に対して幾何学的方法が有効なのは、人間が人工的にその幾何学を作り上げたからであるとし、研究する対象が異なれば、それを正確に解釈する方法は異なると考えていたのである。(M.H)

<正反対>
「発明のスタイルはさまざまだが、私は証明した。善を見つけるためにはその反対の道を進むことが必要であると。悪を探しなさい。これなら、君もちゃんと見つけている。最高の善と最高の悪は市場の二羽の鶏のように対になっています。」
ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)
大学教授を冷やかす歌

「それでも地球は回る」と異端審問所を後にしたガリレオは、医学部を中退したピサ大学で安月給の数学講師をしていた。夜になると大学の周りには娼婦の大群が集まってきた。大学当局は、そこで大学の教師に古代ローマの皇帝たちが纏っていたトーガを常に着用するように命じた。血気さかんで、ルネサンス人文主義の高い教養を持ち、教授の間の嫌われ者だったガリレオは、当局を皮肉るこの詩を書いた。ガリレオはアリストテレスと聖書に基づいた書物の自然哲学を否定して、観察を出発点とする実証的な自然科学への道を開いた。望遠鏡を覗いた「自然哲学者」ガリレオは、その徹底的な観察で、正反対のものを結び付ける大胆な想像力によって、自然の力学メカニズムを解釈していったのである。(M.H)

<風景>
風景画家が絵を描く際に用いる様々な様式のなかで、わたしはただ二種類だけを区別しよう。他のものはそれらの混合にすぎない。すなわち英雄的様式と、牧歌的様式あるいは田園的様式である。英雄的様式は、芸術や自然が生み出しうるあらゆる偉大なものや非凡なものから抽出したものによる構成である。そこでは風景は全く快く、かつ目を見張るものである。そこに描かれた建造物は、寺院、ピラミッド、古代墓地、神に捧げられた祭壇、規則的な形体の別荘などだけである。プッサンがこの様式において十全に表現したように、この様式は美しい才能、良き精神から発した時には、一つの快い幻想であり、一種の魔法である。(中略)田園的様式は、洗練されたというよりはむしろ、自然そのものの気紛れのままに委ねられたように見える風景を表したものである。そこでは自然は虚飾も技巧もなく全く素朴に見える。しかし、技巧によって無理に使われるより自然体にまかされた時、より良く見える装飾物は描き込まれているのである。
ロジェ・ド・ピール(1635-1709)
「絵画講義」(1706)

<驚き>
「われわれが驚くものは、われわれにとってまれで異常に見えるものであり、ものがまれで異常に見えるのは、われわれがそれを知らなかったゆえであり、さらにまた、それがわれわれのすでに知っているものとは相違するがゆえである。そして実際この相違こそ、そのものが異常と呼ばれる理由なのである。
ルネ・デカルト(1596-1650)
「情念論」(1649)

ローマの盛期バロックやルーベンスの芸術は、広大なスケールと全体的な効果とによって観者を圧倒し驚愕させる。精神や理性を目覚めさせることよりも、直接に感受性に訴えかけ有無を言わせず描かれた世界を受け入れ信じさせる。こうした徹底的に壮大な外面的効果を追求したバロック的な作家たちに対して、プッサンをはじめとする17世紀の古典主義の画家は、あくまで事柄の実体を把握させようとした。驚きを喚起する相対的に独立した複数の部分へ観者の視線を巡らせ、描かれた世界の深い意味についての瞑想に誘うのである。(H.K)

<秩序>
「理性の本性はものを偶然的なものとしてでなく、必然的なものとして観想することである。」
スピノザ(1632-1677)
「エチカ」1675

「秩序にはずれるような神の行ないは一つもなく、規則的でないような出来事を考え出すことさえも不可能である」
ライプニッツ(1646-1716)
「形而上学叔説」1686

オランダの哲学者スピノザは、彼の哲学が誰の目にも客観的に真実であると確信し、生前出版することが出来なかった「エチカ」を著者名なしで出版することを命じた。全ての事物と精神は絶対的無限の神の中にあり、全ての出来事は必然的に決定される。そうして、全ての対立が一元的に解消されると考える、その徹底的な理知主義は当時異端視された。一方でドイツの哲学者ライプニッツは、世界の高い次元の予定調和を夢みる政治化として宗教的対立の解消に奔走した。ヨーロッパ各地で絶え間なく起こる宗教的対立とそれに伴う政治的策動と戦争こそが、必然的な世界と秩序だてられた世界の完全性を、神の完全性を願う思想を生み出したのである。(M.H)

<明晰>
「彼らは(科学者は)文体の誇張や逸脱、仰々しさをことごとく排すにあたって、確固たる決意のほどを示した。彼らは本来の純一さと簡潔さとを、すなわち人間が多くの事柄をそれと同数の言葉で表現していた時代に立ち戻ることを望んでいた。彼らは協会員全員に断固要求した。素直で控え目で、自然な口調を。明確な表現法、平明な意味、持ち前の素質を。あらゆる事柄をできる限り数学の明晰さに近づけることのできる能力を。
トマス・スプラット
「ロンドン王立教会の歴史」1667

フランスがデカルトを、イタリアがガリレイを生んだように、イギリスのバロックを代表する哲学者はベーコンである。法学者ベーコンは言葉嫌いで有名であり、当時の人文主義者の修辞学的な言葉遣いや雄弁術が、極端に言えば、言葉自体の性質が、自然の事物や真理への接近を妨害し、その認識に混乱を与えていると考えていた。ベーコン主義者スプラットは、言葉もまた数学のように一対一で表記と意味とが対応する記号であるべきと主張したのである。(M.H)

<誠実>
「誠実な人。−彼は数学者だ、説教師だ、雄弁家だ、などといわれないで、ただ、彼は誠実な人だ、といわれなければならない。この一般的な性質だけがわたしには好ましい。」
ブレーズ・パスカル(1623-62)

1648年に設立された王立絵画・彫刻アカデミーに関わった芸術家たちは、因襲的な画家組合からの独立を目論むとともにオネトテ(誠実さ)という当時の人間の理想に誠実に応答して手を組んだ人たちである。オネトテを身につけるとは、何よりも人を喜ばせることができ、中庸を好み理路整然とすることで、行き過ぎや衒いはもっとも嫌われた。
17世紀の芸術家たちは個性を表に出すよりも時代の社会・文化的な趣味に沿うことでいわゆる古典主義的な性格を獲得するに至ったのである。こうした新しい理想に燃えた画家たちによって芸術の中心がイタリアからフランスに移る端緒がつけられたのである。(H.K)

<効用>
「司教たちは、絵画およびその他の形で表現された、われわれの救済に関する秘跡の物語を通じ、人々が、常に思い出し省察せねばならない信仰箇条を学び確認するよう、充分注意して教えねばならない。さらにまた、聖像はすべて非常な効用をもつことも教えるべきである。それは、イエス・キリストが聖人たちに与え給うた恩寵や恵みを、信者たちに思い出させるからばかりでなく、信者たちの目前に、神が聖人たちや彼らの健全な模範を通じて為された奇跡を示すことになるからであり、その目的は、信者たちが奇蹟を神に感謝し、彼らの生活と習慣を聖人たちの例に一致させ、すすんで神に礼拝し、神を愛し、慈善の行いに向けて奮い立たせんがためである。以上の教令に反することを教えまた信ずる者は破門する。」
「聖像に関する教令(トリエント公会議)」(1563)

 

典拠

●ガリレイ
豊田 利郎編
「ガリレイ」、1980、中央公論社

●デカルト
野田 又夫訳
「方法叙説・情念論」、1974、中央公論社

●トリエント公会議
神吉 敬三
「対抗宗教改革美術としての
スペイン・バロック絵画」、
「ユリイカ」、1984・3

●ド・ピール
「芸術と自然」展図録、1993

●パスカル
松浪 信三郎訳
「パンセ」、1974、河出書房新社

●スプラット
P.ロッシ
「普遍の鍵」、1982、国書刊行会

●スピノザ
下村 寅太郎編
「スピノザ・ライプニッツ」、1980、中央公論社

●ライプニッツ
下村 寅太郎編
「スピノザ・ライプニッツ」、1980、中央公論社

●ヴィーコ
佐々木 力・上村 忠男訳
「学問の方法」、1987、岩波書店