「意外に知らないからだの話」
イベントーク・パートII・第2回

養老孟司(解剖学者)

皆さんが個性と思っているのは、たいてい「心」です。しかし、「個人」とは実は「身体」のことなのです。

 「身体」に対する言葉として「心」という言葉があります。日本人が身体をどのように考えているかというと、脳みその方に意識があって、それが身体はこんなもんだ、と決めている。ところが身体の方はそんなことには関係なく、勝手なことをやって、そして最後には死にます。脳はそれが気に入らない。経験的に自分が死ぬ、ということは分かっていても、何で死ななきゃいけないのかって。しかし身体には理屈がない。心の方は様々な理屈をもっていますから、生き延びようとします。そして生き延びようとして作ってくるものが、ご存知の「社会」であります。例えば昔は何々家というものがあって、これが非常に大切でした。

 非常に強く家というものが実在して参りますのは江戸時代でして、江戸という社会はちょっと抽象的な社会です。抽象的な社会とは世の中の取り決めの方が個人よりも強くなってきた社会であります。ところが身体というのは個人と非常に縁の深いもので、個人とは実は身体のことであります。皆さんが個性と思っているのは、たいてい心です。心は「私には私だけの思いがある」と考えている。私なりの感情があって、思い出があって、記憶があると。それはひとつの考えですが、もしこういうものが人に伝えられて、わかってもらえるものであれば、共有できるものですから「自分」とは必ずしも言えないわけです。ところが身体なら、私が腹がすいたって、貴方がすくとは限らない。共有できないものを考えて、突き詰めていくと、どうやらこの辺が一番共有できない。それが個人だとも言えます。こういうものを集めて身体というものを考え、それと共に我々の社会において身体はどういう風に見られてきたかということを話していこうと思います。

身体が消えて、心が優先する。これを私は「社会が脳化した」と申します。

 我々が今「社会」として理解しているようなものがはっきりできあがったのは江戸時代ではないかと思います。個人より上のものが実在となって、個人が比較的消えて参ります。これが消えてくるということは身体が消えてくるということであって、心が優先した社会が江戸時代になってできあがる。これを私は「人工社会」といいますし、「社会が脳化した」とも申します。しかしこういう社会が本当に日本かというと、どうもそうとばかりは言えません。

 私が行っている解剖は昔は腑分(ふわけ)といっておりましたが、初めてこの腑分を行ったのは山脇東洋という京都のお医者さんです。最初は京都所司代に許可を得て、当時死刑になった人の死体を解剖するのを見せてもらいました。その結果を本に書きまして『蔵志』という本が5年後に出版されました。その17年後に杉田玄白が江戸で解剖を行いまして、解剖学というのが非常に盛んになりました。しかしこの人が何故解剖を始めたか、ということが何の本にも書いてない。私はそれが気になってずっと考えてきたわけです。

 江戸という時代は身体が消えてった時代である。身体が消えて頭のなかからなくなると、まず医者が困ります。特に「身体がない」、つまり身体に対するウエイトが下がってくると、医者は全て精神科の医者になるしかない。例えば脈を図るときに糸脈といって、身分の高い人に触るのは畏れおおいからと、手首に糸を巻いて脈を拝見する。これではまさに身体がないのであって、医者が成り立たない。と同時に社会全体がそういう風な欠損に気がついてきた。したがってそこには実際の身体に関する知識に大きな需要があったのだと思います。需要がなければどんな本も売れませんから、杉田玄白の『解体新書』という本が有名で、今だに残っているのは当時の社会にそういう需要があったということです。

江戸では解剖が非常に盛んになって、解剖があるというと茶店が出た

 当時解剖を一般の人がどのように考えていたかというと際限なく面白いことがあります。それは、現在でいえば脳死後臓器移植問題と重なるわけですね。この場合問題となるのは、死んでるかどうかということではなく、人間の身体をそんな風に扱っていいのかということです。

 当時の人は、人間が生きているのは神気のなせる技であると思っておりました。心とか気、つまリエネルギーとか、目に見えないものが人の身体にあって、それがなくなると死んでいるというわけです。これを一番初めに書いているのは私の知っている限りでは、柳生宗矩の『兵法家伝書』です。それには「木に花を咲かせるのは神気のなせる技であって、それは木を割いても目には見えない。人を生かしめているのは人の神気であって、その神気は人を割いても目には見えない」と書いてあります。将軍に渡す免許皆伝の巻物にそういう考えが述べてあるわけですから、これは極めて正統な思想ということになります。この考えに従えば、「神気の去った身体は虚器(からのうつわ)である」ということになりますので、故に虚器を調べて、生きた人間について何がわかるか、というのが基本的な解剖に対する反対論になります。これを私は哲学的反対論と呼んでいます。死んでしまった身体は虚だと、虚のものを調べても何もわかるわけはないと。

 これ以外にも多くの反対論があったにもかかわらず、江戸では解剖が非常に盛んになって、ある本には解剖があるというと茶店が出た、と書いてある。これは「人間というのは神気だけではだめだ」ということを現実的に示しているわけなんですね。

 江戸の考えは必ずしも日本の伝統的な考え方ではない。平安末期から鎌倉にかけてある時代が成立し、それは戦国まで続くと考えます。それは江戸とは非常に対象的な時代です。

 『九相詩絵巻』という鎌倉時代に描かれた絵があります。これは人が死ぬまでに9つの相を経るという非常に写実的な絵であります。江戸時代までこのような絵はずっと描かれ続けています。しかし江戸に入ると絵はこのような写実的な絵と芸術家の描くようなデフォルメされた絵に二分されていきます。

 ペンフィールドという脳神経外科医の描いた非常に有名な絵があります。身体は脳に大きく場所を取る部分と、少ししか取らない部分があります。それに応じて身体を描きます。つまり脳にある広さから身体のプロポーションを変えて漫画にしますとこういう顔ができる。実は大脳皮質の上にこういう順序で並んでいます、ということであります。この脳に代表された大きさで身体を描きます。こういうのを私は「身体の脳化」といっています。これは実際のものを歪ませて描いているわけですが、その歪みというのは頭の中の法則で歪んでいっているわけです。ですからこの身体は頭の中にある身体ですから、逆にいえばこれでいいわけですね。

「身体」の扱い方がある時代を境にして180度転換する

 江戸というのは脳化した時代、つまり全てのものが一端頭の中を通って出てくる時代。抽象的な、ある意味では現実よりもひとつ上に上がったものが実在感をもっていた時代で、これはポルノグラフィーとして通用した。歌麿呂のように脳化して描けば、これは社会に合わせて歪めてありますから、こっちは勘弁してやろう、という風になったかもしれません。

 吊るし切りというのがありますが、橋本おさむは遊女の吊るし切りと、山婆の吊るし切りのそれぞれを載せまして、どちらが明治になって発禁になったかという疑問をそこで提出しております。皆さんの日本人の常識をもって考えればすぐにわかりますが、身体の扱い方に対するある常識というものは相詩の時代と江戸では全く違ってきます。

 文化の様々な面で身体の扱い方がある時代を境にして180度転換するような気がします。それを日本の伝統と簡単におっしゃる方がいらっしゃいますが、日本の伝統は決して簡単ではありません。インドで現在見られるような姿と江戸で見られるような姿の両方が日本の歴史には存在しておりました。ただこの国の大きな特徴はある時代になると前の時代を消すということで、それは戦後に限らず、維新も江戸も同じです。ですから江戸になりますと相詩にあるような、ある種の目が消されてしまいます。

 解剖は相詩の上にのった伝統ですが、しかしそれを蘭学と思うから「別のものが入ってきた」と思う。それは江戸で話を切ったからで、江戸の人だって、戦後の日本人と同じように江戸以前は乱世でだめで、日本ではないと思っていたに違いない。こういった矛盾を我々は意識の下に覆い込んでしまっているのです。

 

池田泰秀(日本空手道常心門宗総師範)

 肉体をトレーニングで鍛え上げるのではなく、人体を総体的・哲学的に据え、それに立脚した行動法則・運動法・足踏みの在り方を探求する…。それが整体術も生みだした空手での身体の在り方である。