音楽への憧憬
20世紀における美術の革命は抽象絵画が誕生したこと。抽象絵画とは風景や人物、静物などといった具体的なものを描かない絵画。色と線、絵の具の質感などによってオリジナルな造形を生み出していく、絵画の世界だけで完結した自律性をもつ。
絵画は人間の歴史とともにあり、19世紀までは具体的な事物を描くという、具象の世界を展開してきた。音楽もまた人間の歴史とともにあり、こちらは早くから抽象の世界を展開してきた。例えばバッハやモーツァルト、ベートーヴェンの器楽による名曲の数々は、リズムとメロディー、ハーモニーという音楽の基本要素だけで構築された抽象の世界。20世紀初めの美術家、カンディンスキーやクレーたちはその音楽に憧れ、そして抽象絵画を生み出していった。
そうして私たちの生きる20世紀、目と耳は新しい関係をもつことが可能となった。
音と光のポリフォニー
18世紀の初頭、「色彩オルガン」なる楽器が発明され、大いにパリ、ロンドン市民の関心を集めたという。音とともに色彩を発するというその機構(オルガン)の原理までは調べることができなかったが、当時一世を風靡したニュートンの「光学」の影響を受けて、プリズムによる光のスペクトルを利用したものであったかもしれない。
いずれにせよ、そのオルガンの発明者は、人間が音と色とを同時に享受し味わうことができること、目によって音楽を聴き、また耳によって音楽を見ることができるのだと証明しようとしたものらしい。
思想家にして音楽家であったルソーは、「言語起源論」の中でこのオルガンに触れて次のように書いている。「音楽が色彩で作られると唱える、あの有名なクラヴサンを、私は見たことがある。色彩の効果はその永続性にあるのに対して、音の効果は継起的連続性にあるということがわからないのは、自然の働きに気づいていないからである。(中略)それぞれの感覚にはそれぞれの領域がある。音の領域は時間であり、絵画の領域は空間である。同時に聞こえる音の数を増やすこと、あるいは色をひとつひとつ次々に見せることは、それらの節度を変え、眼を耳の代わりに、そして耳を眼の代わりにさせることなのである」(注1)。
一方、当時、最も重要なオペラ・コミック作曲家であったグレトリーはこれに反論し、音と色による描写の可能性について書いている。そこには、音と光を使った現代的なイベントやディズニーがの「ファンタジア」的な演出を連想させるものがある。確かに、オペラは視覚と聴覚の交差する芸術である。オーケストラの演奏と歌手の歌声、そして衣装、大掛かりな舞台装置・・・。私たちは目も耳も、いや全ての感覚器官を総動員して享受するのだ。18世紀のこの時期、ニュートンの理論は物理学の領域を超えて、大きな反響を巻き起こした。音と光、あるいは光(理性=リーズン)と闇(空想=ファンシー)、対立するかに見えるこれらふたつが交差するところには、劇的なものへの予感もまた潜んでいるようだ。写真は愛知芸術文化センターのフォーラムに浮遊するオブジェ。光と闇が交差する
(写真撮影:南部辰雄)
(注1)哲学書房「音楽のことば」から引用。
(注2)参考 平凡社「西洋思想大事典」
マージョリ一・ホーブ・ニコルソン ニュートンの「光学」と18世紀の想像力
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