視覚と聴覚の対話

粟津則雄(文芸評論家)

 昔、三島由紀夫が、音楽好きにはマゾヒスト的なところがあり、美術好きにはサディスト的なところがあると書いているのを読み、なるほどと感心した。三島好みの、奇をてらった皮肉な表現ととられるかも知れないが、そうではあるまい。彼のことばは、音楽と美術との本質を、またそれらに対するわれわれのかかわりようを、端的にとらえていると言っていいだろう。

 もちろん、音楽好きがマゾヒストというわけではない。だが、音楽は、耳というわれわれの意志によって閉じることの出来ぬ器官を通して、われわれの内部の奥深いところにまで否応なく入りこんで来るのであって、そのことに快感を覚える資質や性向は、マゾヒスト的と評しうるものだろう。一方、眼は、耳とは対照的であって、われわれはそれを意のままに閉じ、閉じることによって外界を拒否することが出来る。またそれを開いて外界を眺めるとき、耳の場合とは逆に、われわれ自身が外界に入りこみ、外界にわれわれの内面の秩序を押し付け、かくして外界を支配しようとする。対象とのこのようなかかわりようは、それを極端化すれば、たしかにサディズムと相通じるのである。そして美術とは、われわれの眼のこのような働きを純化結晶させたものだから、美術作品を見て快感を覚えるとき、われわれのなかにサディズム的な好みが働くように思われる。

 もちろん、人びとがすべて、音楽好きと美術好きとのどちらかにはっきりと分類されるわけではない。音楽好きだが美術も好きだという人はいくらもいる。われわれが耳と眼とを共にそなえている以上これは当然のことなのだが、そういう結果だけにあいまいに身を委ねているべきではあるまい。別にわざわざマゾヒスムやサディズムまで思い浮かべる必要はないが、耳と眼という、或る意味では対照的な働きをそなえた二つの器官が、われわれそれぞれのなかでどんなふうにかかわっているかを改めて見定めてみるのはいいことだ。このかかわりようは、誰もが同じというわけではない。われわれは、それぞれの個性に即しながら、われわれの日常のなかで、それらのあいだの対話を、あるいは意識的に、あるいは無意識のうちに実践している。かくして人びとは、或る音楽を聴いて、おのずから或る情景を思い描<ことがある。また或る絵を見て、或るリズムやメロディが響き始めるのを感じたりするのである。

 その点、画家や作曲家は、あるいは眼の方へ、あるいは耳の方へ、強く意識的に自分を推し進めているのだが、これは彼らが音楽や美術に無関心だということではない。それどころか、このようにひとつの動きを強化することによってかえって、別方向にあるのが新たなる魅惑をもって身を起してくるというようなことが起る。かくして、眼と耳とのあいだの対話が、さらに濃密な、緊迫したドラマと化するというようなことが起る。

 たとえばドラクロワのような人は天性の画家というほかはない人物であって、絵画芸術の魅力をあますところなく体現しているが、その彼にしてなお、おのれが画家であることを自覚する前は、時として音楽を絵画以上に高く評価していたのは注意していいことだ。それどころか、晩年においてさえ「音楽の与える感動に及ぶものはない」と書いている。とりわけモーツァルトに対する讃嘆は終生変ることがないのであって、そのオペラ『魔笛』に対しては「芸術の完成美」とさえ評しているのだ。これではまるで、音楽こそ彼にとっての理想であって、それを望んで及ばなかったために止むをえず絵画についたと思われかねないが、もちろんそういうことではない。彼は、音楽の持つ無類の魅惑に身を委ねることによってはじめて、音楽とは異なる絵画の独特の意味あいを見定めえたのだ。

 その点彼が、1821年、23歳のときの手紙にこんなことを書いていることはまことに興味深い。「絵画は生なんだよ。なんの媒介物もなく、いっさいのヴェールを取り去り、手垢のついた規則に頼ることもなしに、魂に移しかえられた自然なんだよ。音楽なんて、あいまいなものさ。詩もあいまいさ。彫刻には約束ごとが必要だよ。だが絵画は、それもとりわけ風景画は、まさしく物それ自体なんだよ。」

 なぜ音楽が「あいまい」であるかということに関しては、少しあとの別の手紙での「音楽においては、形式が内容を支配する。絵画においては反対だ。」ということばを想い起してもいい。もちろんこのことに関してはさまざまな異論がありうるだろうが、ドラクロワは、音楽の魅惑に身を委ねると同時に、その特質をこのように見定めることのうちに、彼にとっての絵画の本質を確立したのである。これは、それによって、音楽から離れたということではない。それどころか、音楽はいっそう深く彼のなかに流れこみ、色と線との無類に精妙な変奏として生きるのだ。

 絵画は生であり物自体であり、音楽においては形式が内容を支配するというような考え方は、もちろんニュアンスは異ってはいるものの、クレーにおいても共通している。それどころか、クレーにおいては、音楽と美術とのかかわりは、ドラクロワの場合以上に緊迫したおもむきを示していたとも言える。クレーの父親は音楽教師であり、母親は元歌手だったから、おさない頃から音楽は彼の日常の一部になっていた。そればかりか彼自身、ヴァイオリンを学び、高等学校に在学した頃から、町の交響楽団の非常勤団員になっていたのであって、ドラクロワよりもはるかに深く全身的に音楽のなかにのめりこんでいたと言える。当然、彼の絵画観念は、このことと強く結びつき、このことを踏まえながら作りあげられなければならなかった。彼は、べ一トーヴェンの後期の作品について「内面を他動的に流動させず、内面を内面自体のなかに宿っているひとつの歌へと造形する」と評しているが、これが彼自身のモチーフと深く相応じていることを思えば、音楽が彼自身のなかのいかに奥深いところにまで入りこんでいるかがよくわかる。

 彼は、自分にとって音楽とは「魔力をそなえた恋人」のようだとも述べているが、にもかかわらず絵画の道を選んだことはまことに面白い。その理由について彼は、「何となく心魅かれるものがあった」というようなあいまいなことばしか述べていないが、おそらくそこには、ドラクロワの「音楽においては、形式が内容を支配する」ということばと相応ずる動機が働いていたように思われる。彼は「言語における時間的要索の欠如」を「多次元の現象」の表現を不可能にする決定的な欠点と見なしているが、そういう彼が、音楽という純粋な時間芸術の自在で精妙な表現力に抗し難い魅力を覚えたのは当然だろう。だが、彼のなかの何かがそれをはみ出すのである。つまり、音楽という本来一種の秩序をそなえた素材のうえに成り立つ芸術によっては、おのれの奥底にうごめく、渾沌とした、矛盾と怪奇とをはらんだ運動を、充分にくみつくしえないという直覚が働いていたのだろう。

 クレーは、ドラクロワよりもさらに危うい分裂と解体にさらされていたのであって、音楽という本質的に調和した素材から成り立つ純粋な構成は、この分裂を統一へと変容させる手段としては、おそらく純粋に過ぎた。多声音楽における各声部の対立にしても、彼の精神の分裂を救いとるには、調和的に過ぎた。かくして彼は、ドラクロワが「生」に「物自体」に向かったように、さらに徹底的に自分自身を或る根源的な全体へと解き放たれなければならぬ。彼の絵画観念は、彼のこのような要求と、直截に、かつ全体的に相応じるものであって、この観念が確立されたとき、彼の画面には、音楽が、ふしぎな自在さをもって流れ込み、その役割を果たす。そしてクレーは、そのようなおのれの絵画を「造形的多声音楽」と呼ぶのである。そこでは、形と運動が、刻々に新たにみずみずしい合体を成就している。これは、言わば眼と耳との、まことに興味深い対話にほかならぬ。クレーの作品のなかの線の動きを追ってゆけば、それは強い造形性へと結晶してゆく一方で、われわれのなかに、生き生きとした音楽を響かせる。また一方、その色面の対照や組立てが、おのずからわれわれのなかに、一種の対位法的音楽を生み出すのである。

 これは、絵画が、音楽的効果を狙ったというようなことではない。絵画は、画家の個性に即したかたちで、刻々に絵画自身へとおのれを純化してゆくのだが、まさしくこのことによって、音楽が、絵画と合体するのである。

 こんなふうに、画家と音楽とがさまざまなかたちで結びつくのだが、もちろん、作曲家の側からの美術との結びつきもある。たとえばムソルグスキーの『展覧会の絵』や、ヒンデミットの『画家マチス』のように、直接、絵画作品や画家を主題としたものもあるが、そればかりではない。視覚的ヴィジョンと強く結びついた音楽作品も、ピンからキリまでいくらもある。この問題についてはここで触れる余裕はないが、音楽が美術に近付く場合注意すべきは、それが、音楽が音楽自身へとおのれを純化してゆく動きと相ともなったかたちで行われなければならぬという点だろう。そのことによって、音楽も美術もともに生きるのだが、そういうことなしに、表面的かつ楽天的に視覚的効果を追えば、たちまち音はくさり始めるのである。