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愛知県美術館所蔵作品選

中原悌二郎 NAKAHARA Teijir
1888-1921

平櫛田中像
Portrait of Denchu Hirakushi
1919-21年 ブロンズ 37.5×26.0×22.0cm
1919-21 Bronze

北海道釧路港真砂町(現釧路市)に生まれる。1905年、画家を志して上京。翌年白馬会洋画研究所において中村彝の知己を得て、以後終生の交友を結んだ。1907年には太平洋画会研究所へ移り、中村不折と満谷国四郎に師事。翌年に荻原守衛によって彫刻への目を開かれ、2年後の彼の急逝を契機に彫刻家へ転じた。太平洋画会研究所彫塑部において、守衛の後継を自負する戸張孤雁とともに新海竹太郎に指導され、1912年には白樺美術展でロダンの実作に初めて接して決定的な啓示をうけた。1916年、孤雁とともに再興日本美術院研究所彫刻部に入り、同年の院展に《石井鶴三像》を出品し樗牛賞受賞。19年の院展には、大正期彫刻の傑作《若きカフカス人》を出品。同年、肺結核のため喀血し、快癒せぬまま東京日暮里の寓居にて没した。
心意に沿わない作品をすべて叩き壊した中原には、現在確認される原型が12点しかない。この《平櫛田中像》は、日本美術院研究所で知り合った平櫛と、たがいにモデルとなってつくられたものである。制作の途中で喀血した中原は、この像に最後の一手を施さぬまま逝った。モデリングの粘土は、頭部付け根から胸部にかけて垂れ落ちるうちに乾き、結局は平櫛がこれを削ってブロンズに抜いた。中原は常に鼻梁から制作を開始したが、この塑像にあっても、そのことが一本芯の通った量塊の表現につながっている。細部表現には拘泥せず、重厚な面の盛り合わせをもって構成されたその頭部には、モデルの内面に秘められた気骨ある性格がにじみでている。(R.T.)


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