ゴッホ展


「自然の叡智」をメインテーマとする愛・地球博の開催に合わせて、 愛知県美術館は3つの大規模な展覧会を企画しました。
3本の展覧会はそれぞれ、日本、アジア、ヨーロッパの美術を対象として、 芸術と自然との関わり、ひいては人間と自然との結びつきを、あらためて 見直そうとするものです。

3月11日から5月8日まで開催された「自然をめぐる千年の旅―山水から風景へ―」は、 古代から近代まで千年以上にわたる日本人と自然との関わりを、「聖なる自然」、 「理想の風景」、「季節の中で」、「動植物へのまなざし」、 「実在の場所―名所絵から風景画へ」という5つのテーマのもとに集めた日本美術の 名品によってふりかえることを狙いとしました。 大陸から伝来した仏教文化が花開いた奈良時代の《過去現在因果経(絵因果経)》から、 聖なるものの現れる非日常的な光景に繊細な自然表現を織り込んだ鎌倉時代の 《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》、大胆に単純化されたフォルムと精緻な工芸的手法を 融合して象徴的な自然のイメージを表した室町時代の《日月山水図屏風》、 同じ室町時代に実在の場所の迫真的な空間表現に挑んだ雪舟の《天橋立図》、 季節の変化とともにある現世の生活の歓びを描いた桃山時代の《高雄観楓図屏風》、 光と大気の清々しい表現に達した江戸時代の池大雅の秀作《瀟湘勝概図屏風》、 さらに西洋美術との出会いを踏まえ、新たな目で日本の風景に取り組んだ明治以降の 高橋由一、黒田清輝、岸田劉生らの代表作まで、まさに日本美術の粋を集めたと自負するに 足る内容となりました。 この展覧会をご覧になった方々は、遠い昔から今日にいたるまで、日本人が自然に対して 親しみと畏(おそ)れの感情を抱き続けていること、そしてその感情が根底にあって 日本の優れた美術作品の数々が生み出されてきたことを、再確認されたのではないでしょうか。

続いて、5月24日から7月10日まで開催された「アジアの潜在力―海と島が育んだ美術―」は、 私たちが暮す島を囲む海の向こうへ視界を広げ、古くから相互の交易によって結ばれていた 東アジアの海洋地域へと、想像の船旅を企てたものです。 船はインドネシア、カンボジア、タイ、台湾、ベトナム、マレーシアを巡り、 そして再び日本に向かい、海によって隔てられた島々や半島のあいだを行き交うことで 垣間見えてくる「潜在力」を感知することを旅の目的としました。この展覧会の出品物は、 いわゆる現代美術や工芸の作品に限定されず、土器、木彫像、仮面、染織品、椅子など さまざまであり、それらの用途も純粋な観賞から日用、呪術まで多岐にわたっています。 こうした多種多様な造形物を、彫刻と工芸といったジャンル分け以前の、「彫る」、 「染める」、「型取る+肉付ける」という3つの技術の面から捉えました。 人間が自然をどのように眺め、どのように描写したかではなく、身体に刻まれる知恵である 「手仕事」の観点から人間と自然物との交わりに目を向けることが、この展覧会の狙いで あったと言えます。

最後に、7月26日から9月25日まで開催される「ゴッホ展―孤高の画家の原風景―」は、 ファン・ゴッホの代表的な作品を、彼が生きた時代環境や文化的背景とともに紹介することに より、孤高の芸術家、あるいは狂気の天才といった伝説的イメージに包まれてきた画家の 素顔に近づくことを試みる企画です。 ファン・ゴッホの作品は世界中の人々に愛されていますが、とりわけ日本で根強い 人気を保っているのは、自然に対する彼の姿勢が、私たち日本人の共感を呼ぶから ではないでしょうか。

祖父も父も牧師という家に生まれたファン・ゴッホは、彼自身も宗教家になることを 志しましたが、その夢は果たせず、絶望の後に、新たな希望を絵画に求めました。 画家に転身してからも、かつて彼を宗教へと駆り立てたもの、つまり現実を超えた 聖なるものへの情熱は衰えていません。 彼は宗教に代わる価値を「自然」の中に求め、それを芸術によって表現することを 目ざしたのです。このように「自然」を神聖なものとする見方は、西洋においては 古くから一般的であったわけではなく、18世紀後半から19世紀前半のロマン主義の 時代に高まったもので、ファン・ゴッホはその影響を受けていますが、日本人にとっては、 こうした見方はむしろ素直に受け入れられるでしょう。また、ファン・ゴッホが日本に 強い関心をもっていたことはよく知られていますが、その理由も、彼が浮世絵版画や 日本に関する書籍、雑誌を通じて日本人の自然観を知り、それに共鳴していたからに 他なりません。彼の有名な手紙には、次のような一節があります。 「日本の芸術を研究すると、まぎれもなく賢明で、達観していて、知性の優れた人物に 出会う。(…)彼が研究するのはたった一茎の草だ。しかし、この一茎の草がやがては 彼にありとあらゆる植物を、ついで四季を、風景の大きな景観を、最後に動物、 そして人物像を素描させることとなる。(…)かくも単純で、あたかも己れ自身が 花であるかのごとく自然のなかに生きるこれらの日本人がわれわれに教えてくれることこそ、 もうほとんど新しい宗教ではあるまいか。」
(二見史郎編訳『ファン・ゴッホの手紙』より抜粋)

(H.M.)

Photo : ITO Tetsuo 
(アジアの潜在力―海と島が育んだ美術―)