この展覧会は3部で構成されています。「新しい素材と空間」(40年代と50年代)、「環境と概念」(60年代と70年代)、「色彩とイメージの復権」(80年代と90年代)。中でも、今回の展覧会の中心となるのは第二部で、イタリア戦後美術の中で最も世界的に脚光を浴びた、いわゆる〈アルテ・ポーヴェラ〉です。アルテ・ポーヴェラというのは、トリノ市とミラノ市、そしてローマ市の周辺で1960年代に登場してきた作家の作品の傾向を言い表したものです。日本ではあまり紹介されたことがありませんが、クネリス、メルツ、ファブロ、ピストレット、パスカーリ、ゾリオ、アンセルモなどが代表的な作家としてあげられます。また、この〈アルテ・ポーヴェラ〉というイタリア語は日本語には訳しにくく一般的には「貧しい美術」などと訳されていますが必ずしも適切な訳語とは言えません。「ポーヴェラ」というイタリア語に対して、「貧しい」という日本語はあまりにも否定的な意味合いが強いからです。ですから、私はこれを「貧しい、あるいは簡素な」美術とするようにしています。アルテ・ポーヴェラという言葉自体は、アルテ・ポーヴェラが認知されるようになった1967年以前でも、民衆芸術を説明するときなどに用いられていました。たとえば今回の出品作家であるメロッティにこんな美しい言葉があります。

 ─ 「テラコッタはいつも春のような簡素さを持っている。だから、簡素な美術(l'arte povera) だし、祭りの日の貧しき人々の美術( l'arte dei poveri ) で人々の甘美な復讐なのだ。」

 わかりやすく言えば、アルテ・ポーヴェラとは、どこででも手に入る素材で美術作品を作り出そうとした運動です。ビニールや木や鉄、土、水、植物、時に動物など。したがって、従来の大理石彫刻のもつ表面の美しさや、ブロンズ彫刻のもつ渋味といったものはなく、材料費も手間もかからないことになりますが、素材の美しさを追求できない分、作家は見せ方に工夫を凝らしました。

 

 今回の展覧会では有名なフォンターナと並べて、イタリアの戦後美術の出発点を作った作家の一人としてブッリを位置づけています。日本であまり紹介されていないということもあり、彼の優れた作品をどうしても展示する必要がありました。フォンターナとブッリはライバル的な存在であり、ちょうど私がイタリアを訪れた時にプラト現代美術館でブッリとフォンターナの活動を対比する二人展が行われていました。ただしライバルといっても、実際には二人の仲が悪かったわけではなく、ブッリを早くから理解して彼の作品を購入していたのがフォンターナだったのはよく知られています。ちなみにマンゾーニをいち早く評価したのもフォンターナでした。この展覧会が行われていた美術館の館長で今回の展覧会カタログに寄稿してくれたブルーノ・コラ氏に美術館の中でたまたま遭遇しました。その時、来館していたブッリの美術館の学芸員サルテアネージ女史を紹介してくれました。訪問したい旨を伝え、展覧会の内容を説明するために日を改めてペルージア市近郊チッタ・ディ・カステッロにあるブッリの美術館まで行きました。出品については非常に好意的で、ブッリの代表的な作品が借りられることになりました。ブッリの作品は写真で見ると単に汚らしく見えますが、実際には絵としての構図のよさと表面の質感が非常に印象的です。

 

 メロッティもフォンターナと同様にミラノで戦前から活動していた彫刻家でしたが、彼が評価されるようになったのは1960年代以降でした。メロッティの作品は非常にデリケートな構造を持ち、愛知県美術館で回顧展が行われたスイスの画家パウル・クレーの作風を彫刻的に表現したものと考えてください。興味深いことに、メロッティ自身もクレーと同じ様に音楽家になるか美術家になるか迷っていた時期がありました。イタリアの有名なピアニスト、マウリツィオ・ポリーニはメロッティの甥にあたります。池の中に展示されたメロッティの巨大な立体作品をプラトの隣町ピストイアの近郊にある美術の大コレクター、ゴーリ氏の庭でみました。庭といっても、車で母家にたどりつくのに門から10分ぐらいかかる広大な場所で、名古屋の東山公園ぐらいの敷地を自分のコレクションの屋外展示スペースにしています。そこには、ミラノに住む日本人作家、長沢英俊の大理石によるインスタレーションの作品も設置されていました。

 

 さて、現代の美術を紹介する展覧会の準備の楽しみは作家本人と会うことにあります。ただし、今回紹介するすべての作家が生きているわけではありません。今回紹介する26人の作家のうち現存作家は19人です。20世紀の変わり目に生まれて1945年以前も活躍していたフォンターナとコッラが1968年に亡くなったのは年齢を考えると不思議ではありません。しかし、1963年にフォンターナの後継者となったマンゾーニが31歳の若さでローマのアトリエで急死し、同じ年ロ・サヴィオは28歳の若さでニースで自殺しました。1968年にはパスカーリが33歳でオートバイで事故死しています。これらの夭折にはなんとなく60年代を感じてしまうのは私だけでしょうか。フォンターナとほぼ同世代で親しい友人でもあったメロッティはフォンターナとは異なり、晩年近くになってようやく評価された作家ですが1986年に亡くなりました。戦後の作家としては、ボエッティがアルテ・ポーヴェラの代表的な画家としては早くも1994年に、ブッリが1995年に亡くなっています。

 

 60年代と70年代に起こったアルテ・ポーヴェラの運動以後に登場して、絵画的なイメージの世界をもう一度蘇らせたのがクッキやパラディーノでした。パラディーノのアトリエは地理的にはナポリ市に近いベネヴェント市にあります。そこへは今回の若手の出品作家の一人であるローマに住むドメニコ・ビアンキの車で行きました。パラディーノのアトリエも、ピストイア市のゴーリ氏の屋敷と同じで、坂を車で10分ほど登っていったところにありました。パラディーノのアトリエに隣接する自宅にはエトルリア時代の彫像やアフリカの彫刻などが飾ってありました。パラディーノの作品には、こうしたアルカイックな美術の人間像が登場するのでその理由を聞いてみると次のように答えてくれました。「通常、人はアフリカやエトルリアの彫刻をアルカイックとか素朴だというが、実際には非常に厳密な計算が潜んでいる。彼らは適当に作っていたわけではない。だから研究する必要があるんだ。」公園のような庭にはとても美しい彼の彫刻が並んでいました。

 

 パラディーノの家を出て、今度はローマ近郊のズグルゴラ市にあるビアンキ氏のアトリエに立ち寄りました。このビアンキとは道中にいろいろな話をしていきましたが、中でも印象に残ったのは彼が80年代の初頭に登場した<ローマ派>の一人と見なされているということに対して、そんなものは「批評家のでっち上げだ。アーティストは全くの個人だ。誰ともグループを組んだりはしない」、と強い口調で私に抗議したことでした。かなり遅い時間になっていましたが、ローマにあるビアンキ氏のアトリエに寄りました。コンピュータを使用して作り上げる線には非常に神秘的なものがあります。
 エットーレ・スパレッティは60年代の半ばから活躍している作家ですが、イタリア半島のアドリア海側に位置するペスカーラ市の近郊、カペッレ・スル・ターヴォに住んでいます。ローマに到着してから、何度か彼のアトリエに電話をかけてみましたが、いつも留守電に切り替わり、本人とはなかなか話すことができませんでした。そうした電話を繰り返している内に作家本人が電話に出ましたが、56歳のはずなのに彼の声はおじいさんのように聞こえました。訪問を楽しみにしているので、町についたら連絡してほしい、とのことでした。展覧会の協力者の一人である南條史生氏の運転する車でローマから出かけました。町に到着してアトリエに連絡を入れると、アシスタントが待ち合わせ場所に車で迎えにきてくれました。彼のアトリエはまさに天上的な世界にみえました。

 

 次の日にプラト現代美術館の館長と再会し、スパレッティについて尋ねてみました。スパレッティは、病気なんかじゃなくて若い頃から、いつもゆっくりとあのしわがれた声で話すのだ、と語ってくれました。この時、コラ氏は面白いことを言っていました。イタリア人の作家はその姿形と作品の傾向が一致するのだ、と言うのです。今回、お会いすることはできませんでしたが、キャンバスに凹凸を作って絵画表面の光の反射を見せる作家カステッラーニには白い作品が多いのですが、「性格も白くて髪も白いんだ」、コラは語っていました。分かったような分からないような気がしますが、言われてみると今回の展覧会の準備で会った多くの作家からそうしたイメージを受けました。《黄金のイタリア》のファブロは話し方が優しいのですが、彫刻と同様に話していることも書いているものもつかみどころがなくて曖昧ですし、プラト現代美術館で出会った《ぼろぎれのヴィーナス》のピストレットは役者のように堂々としていました。イヌイットの住居である「イグルー」を組み上げることで有名なメルツは巨人の相貌を持っています。インスタレーションを行ったソーニャという小さな町と、彼のアトリエのあるエンポリ市で会うことができた作家バニョーリのアトリエは実験所のような雰囲気で、人柄も化学の研究者という感じでした。トリノの作家ペノーネは彼が作り出す「木」のように堅固で、かつ枝のような繊細さを持っていました。愛知県美術館を訪れたクネリスからは哲人的な番人の印象を受けました。

 

 展示室のスペースの関係もあり、展覧会のタイトルが「イタリア美術1945−1995」ではありながらも、立体的な作品と立体的な絵画を作っている作家に比重が置かれ、イタリアの平面絵画の持つ色鮮やかでシンプルな輝かしさを紹介することができないのはとても残念なことです。ただし、今回展示している立体作品からでも、皆さんのよく知るイタリアのもつ美しいデザインとファッションのセンスの根幹を理解していただくことができると信じています。

 

写真中央:パラディーノの庭

 写真・文 拝戸 雅彦(愛知県美術館学芸員)