映画が生まれて100年目となる1995年。愛知芸術文化センターではこの節目となる年に、映像の原点を再発見するとともに、新たな映像の世紀を見つめるために、劇映画と実験映画の両面に渡っての映像芸術の原点であり、また最初の革命者というべきジョルジュ・メリエスの特集を開催します。代表作『月世界旅行』(1902)から最近発見された作品まで、現存する上映可能な約80本すべてを公開する大規模な回顧上映が今年実現するのは、本国フランスを含めて世界的にも日本のみという、大変貴重な機会といえます。

 この企画に合わせフランスから曾孫と専属ピアニストも来日し、画面を見ながらの即興的なピアノ演奏と、曾孫による作品解説を加えて、公開当時の様子を再現した上映を行います。イメージ豊かなメリエスの映画を即興演奏付きで見るこの上映会は、20世紀の総合芸術と呼ばれる映画の原点を体験し、さらに大きな発見をもたらすでしょう。

 

魔術だ!映画だ!メリエスだ! 

 同一画面に一人二役で現れるかと思えば、キャメラの前に忽然と姿を見せたり消えたりする。忍術映画のように変幻自在だ。

 びっくり箱さながら引さ出しや入れ物のふたをあけると妖怪がとびだし、トランプのハートのクイーンが生身の女王になって抜けだしてくる。猿が女に化け、女が骸骨に変わる。幽霊が家具や壁を通り抜けていき、悪魔がいたずらのかぎりをつくす。悪魔を演じるのはジョルジュ・メリエス自身である。

 奇術師が自分の首を引っこ抜いてほうり投げると、次々と五線にひっかかって音符になり、歌いだす。空気をチューブで送ると人間の首がぐんぐんふくらみ、破裂しそうになる。人間の顔をした月がみるみるキャメラに近づいてきたかと思うと、ロケットが目に突っ込むので、月は目をシロクロさせる。

 壁のスクリーンのなかから妖怪がベッドの不眠症の男に襲いかかる。男は反撃しながらスクリーンのなかにとびこむが、すぐまた追いだされる。塀に貼られた何枚かのポスターがマルチスクリーンになり、それぞれのポスターの絵の人物たちが勝手に動きだして、通行人に物を投げつけたりする。

 特殊撮影の元祖メリエスならではのトリックが素朴ながら力強く多彩なイメージの迷路のように洪水のように目をくらまし、洪水のように押し寄せる。その創造と破壊の果てしないくりかえしはギャグと活劇の連続といった感じだ。ドタバタ喜劇、スラップスティック・コメディーの原点がここにあるとみなされる所以でもある。

 何かというと肉襦袢の女たちやタイツ姿のレヴューガールたち(かなり太めの女たちである)が出てきて画面に彩りを添えるというメリエス的美女乱舞からは、やがてアメリカのサイレント喜劇の総元締マック・セネットの水着美人が生まれることになるだろう。

 世界最初のヌード・シーンを撮ったことでも知られるジョルジュ・メリエスである。月世界では星という星が女の姿になって現れる。ガラスの水槽を通してとらえられた海底の風景には、飾窓の女のように人魚が艶然と横たわって微笑む。なんとも言えぬいかがわしさがつきまとうのである。たとえばリュミエールが家庭の食卓で赤ん坊が食事する姿を撮ったのに対して、同じ親密感あふれる日常的な生活環境を主題にしながら、メリエスは愛人が浴室でシャワーを浴びる情景を撮ってしまうのだ。

 「メリエス氏と私は同じ仕事をする人間だ。俗悪な題材を魅惑に変えるのだ」とギョーム・アポリネールは語り、「要するにアルチストとは何であるか/今ではそれはもう美術を培う者ではない/それは詩や音楽の芸術に従事する者でもない/それは要するに男優と女優の意味だ」(堀口大學駅)とうたった。

 SF映画の元祖的作品とみなされる『月世界旅行』(1902)をはじめ、数々のおとぎ話の映画化、『妖精たちの王国』(1903)のようなトリック撮影による夢幻劇を得意としたメリエスだが、夢の世界に遊んでばかりいたわけではなく、一方では現実の出来事、時事的な問題にも敏感に、あざといくらいに対応し、有名な『ドレフュス事件』(1898)では「真実の追求」に熱中し、『エドワード七世の載冠式』(1902)のようにあらかじめ現地調査をしたうえでセット撮影して同時中継さながら上映したという「再現された」ニュース映画も撮ったメリエスであった。

 メリエスのトリック映画はどれも舞台の上で演じられる奇術を撮影しただけのような印象を与える。じっと正面を見すえたまま、魅せられたように動こうともしないキャメラに、ときとしていらだちを覚えるくらいだ。しかし、フィルムの一コマ、一コマに彩色されたその美しさに目をみはるとき、そこにも見事に強烈な映画的衝動がひそんでいることを感じとることができるだろう。

山田宏一(映画評論家) 

 

【関連特別企画】
「光の生誕リェュミエール!」

12/13(水)午後6時〜
愛知芸術文化センター・アートスペースA

 映画の発明者として名高いリュミエール兄弟。1895年、パリのグラン・カフェで上映された世界最初の映画『工場の出口』や『赤ん坊の食事』をはじめ、日本で最初に撮影された「明治の日本」(名古屋で撮影されたと思われる『列車の到着』を含む33本)など、19世紀末から20世紀初頭を記録した貴重な映像を、リュミエール協会が特別に用意したニュープリントにて上映します。

※ 企画・間い合わせ:愛知県文化情報センター

 

“映画誕生”〜“映画の黎明”を読む

(アートライブラリー・コレクションから)

 映画が誕生するまでの「映画前史」は、各国の様々な発明家、科学者、技術者たちが、創造の力の限りをつくして動く映像を作り出そうとした、混沌とした状況の中での熱気に満ちた時代である。そしてその後の、映画が誕生しそれが表現メディアとしてのスタイルを模索していた時代も、様々なクリエーターたちがおのおののアプローチを試みた活気ある映画の揺籃期である。メリエスが活躍したそんな時代をアートライブラリーの蔵書から追体験してみたい。

(T.E.) 

「映画の考古学」
C.W.ツェーラム著 月尾嘉男訳
フィルムアート社(1977年)
 映画の誕生前夜である「映画前史」を知る絶好の書。動く映像を作り出すまでの、様々な装置やアイディアの実験性、創造性の豊かさに驚かされる。同時にまた、映像メディアの可能性の広がりについても知らされるだろう。

「魔術師メリエス」
マドレーヌ・マルテット=メリエス著 古賀太訳
フィルムアート社(1994年)
 魔術から出発し、そのエッセンスを独自の幻想映画として結実させた映画芸術のパイオニア、メリエスの生涯を、孫娘である著者が愛情を込めて描いた伝記。多様な活動をしたメリエスの人間的魅力が伝わってくる。

「世界映画全史」
(全12巻、既刊5巻)
ジョルジュ・サドゥール著
村山匡一郎・出口丈人・小松弘訳
図書刊行会(1992年〜)
 映画前史から無声映画の発展、トーキーの登場まで、映像言語の創造過程である映画史を精緻に綴る大著。第3巻が「映画の先駆者たちメリエスの時代1897-1902」である。

「Musee du Cinema Henri Langlois」
Huguette Marquand Ferreux 編・著
Maeght Editeur 刊(1991年)
 シネマテーク・フランセーズの映画博物館の図録で、全3巻の大冊。その創設者であるアンリ・ラングロワのコレクションからは、映画に関するあらゆるものを残そうとするかのような、執念にも似た愛が感じられる。貴重な資料の図版とともに、博物館の展示の状況まで感じられる、すぐれた編集がなされている。

 サイレント映画の時代、ヨーロッパでは上映に際して即興的なピアノ伴奏がつけられていた。やがて、映画が物語的な構造を強くしてゆくにつれ、シーンごとに説明を加えるように画面と音楽との関係は徐々に体系化されていった。さらに、大作映画が作られるようになると監督による曲目の指定が行われ、ついには映画用のオリジナルの音楽が作曲されるに到る。

 この図はオペラ座での上映の様子を伝える「イリュストラシオン」誌1924年11月号の挿図(アートライブラリー蔵)。